こころ相談室

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誰かにきいてほしい悩み、ひとりで抱えていませんか?「こころ相談室」では、そんなあなたのご相談に、菅野泰蔵先生がじっくり向き合ってくださいます。仕事・育児・家庭・健康など、どんなささいなことでも結構ですので、気軽にご相談ください。

※現在ご相談は受け付けておりません


菅野泰蔵先生
 1953年東京生まれ。学習院大学卒(心理学)。臨床心理士。学習院大学、代々木の森診療所などを経て、現在東京カウンセリングセンター所長。ベストセラー「こころの日曜日」シリーズ(法研)を始め、「淋しい女と困った男」(双葉社)など著書多数。


人間不信に陥っています。
誰にも相談出来ず、毎日悶々と悩み、ここのHPに辿り着き先生の事を知りました。どうぞ宜しくお願い致します。

 現在、30代無職の女性です。

 昨年より大手術を数回控えていた為、仕事も契約が切れる丁度いい時期だったので、完全に完治するまでは療養に専念を、との考えから一年程休職してました。

 手術も無事終わり、体調も良くなってきたので求職活動を始めたのですが、自分の条件に合った会社がありそこでお世話になる事に決め、両親も喜んでくれました。

 しかし、入ってみたら、最初に聞いていた条件とは仕事内容も勤務形態も全く異なる為、暫くは悩みながら勤務していましたが、疑問が生じ辞めるなら早い方がいいと見切りをつけ辞めてしまいました。

 100%企業が悪いのですが、「多少の事ぐらい我慢出来ない自分は我が儘なんじゃないか」とか「この年になって仕事が続かないなんて情けない」と自己嫌悪に陥って、辞めた事に罪悪感を感じたりします。仕事の紹介も、もっとちゃんとリサーチしてから紹介してくれればこんな事にならなかったのに、とも思ってしまいます。

 あと、手術をしてから、人が信じられなくなり、人間不信に陥ってます。それは、十数年来の付き合いで親友だと思っていた友人に酷い態度をされたからです。あまりお金の事は言いたくはないのですが、友人が手術をした時に長年の付き合いで母からのアドバイスもあり、大人としてある程度の金額を包みました。それが、私が手術をした時には、その友人は私が包んだ半額しか持って来なかったんです。

 元々お金にケチな人ではありましたが、まさかここまでとは、とショックでいっぱいでした。あとは、些細な事かもしれませんが、仕事を辞め自宅にいて時間が有り余ってる友人の一人が、とても懇意にしていたにも拘わらず「お見舞いに行く」と言う一言を言ってくれなかった事にも非常にショックです。

 手術があまりにも辛かった為、違う友人に言ったら、
「そんなの自分がリスク覚悟でやった手術でしょ!!」と暴言を吐かれました。術後は、何事にも敏感になっている為、友人だと思ってた人達のさまざまな行動や発言に傷付き、トラウマになってしまいました。もう、決して若くはない両親の為にも、早く居心地の良い職場を見つけ、結婚出来たらとは思うのですが、今は結婚どころか彼氏さえもいません。このままじゃいけない!と思いながら、毎日現状をどうにも出来ないでもがき苦しんでいます。

 この年になって、新たな職場・友人・彼を探したり、作ったりは正直しんどく、辛いです……。

 この年になって、何もかも中途半端で嫌になります。長々と申し訳ございませんが、先生どうか良きアドバイスをお願い致します。

(30代・女性・無職)

回 答
文面を読むと、つくづく世間の人々は自分のことが大事で、自分のことで精一杯なのだなと思いますね。あなたの友人たちも、みなまるで余裕というものがないような感じです。

 さて、過ぎたことは仕方ありませんが、友人の手術にお金を包んだのはよくなかった。友人とはいえ、お金のことは慎重になったほうがいいですね。向こうから言われたのならいいですが、親切心で金銭をやりとりするといいことはありません。

 たぶんあなたは人のためにいろいろと配慮をするのでしょうが、それは返ってこないものと思っていたほうがいいのです。そうでないと裏切られたような気持ちになってしまう。こちらの期待、要求水準を下げることをしないと傷ついてばかりです。

 仕事を辞めたのは良かったんじゃないですか。辞めたら辞めたで、複雑な気持ちにもなるでしょうが、続けていたらもっとストレスがたまっていたでしょう。ただし、ここでも、あなたの期待と要求水準の問題が。

 実際に仕事をしてみて、条件が違っている、いわゆる「話が違う」というのは、社会ではごく当たり前のです。よく考えれば、今までそういうことばかりだったはずです。そういうことは、最初から十分に予想していないといけません。人間関係でも何でも、あらかじめ予想しておくというのが大事です。

 ちなみに私はいつも最悪の事態を予想しています。そうしておくと、悪い事態になってもさほど動じなくて済みます。そして、今まで、「最悪」の事態までには至ったことはありません。そうすると、今度は「まあ、そこまで行かなくてよかった」くらいにも思えるんです。「思ってたより良かった」と思える人は、そういうふうに低いレベルで予想を立てている人です。

 たとえば、そのケチな人が見舞金を「半額」もくれたというのも、まったくくれなかったわけではないのです。最悪の予想はゼロですから、そこから比べればはるかにすごい。ケチなのに、相当がんばったとも言えるわけです。

こんなご相談いただきました

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