こころ相談室

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ひきこもりのわが子とどう接したらよいでしょうか
 私の27歳の長男が、ここ一年急激にひきこもり状態を呈するようになりました。

 本人の現状に密接に関連いたしますので、かなり長くなりますが、中学時代から述べさせていただきますので、お付き合いしていただきたく、よろしくご高配のほどお願いいたします。

 息子は、この地域においては比較的問題が多い中学校に籍を置き、かなり級友たちとの軋轢に苦しんだようですが、あるいはそれが逆に糧となったかどうかさだかではありませんが、常に上位におり、同級生約三百人のなかから五人ほどしか合格することができない、この地域の最優秀高校である県立八戸高校に合格いたしました。高校では、中学ほど勉強に力を入れなかったようにみうけられ、そのせいか三年次の成績はあまりかんばしくはなく、この地域の公立大学に推薦入学いたしました。なぜ高校での勉学が低下したか、それは、まったく性格、及び能力などに落差あるいは違和感がある学校から脱却したという喜びで、有頂天になったのも、その原因の一つではなかったのか、今になって、わたしの目のゆきとどかなさ、配慮、思慮の欠落が反省され、また後悔されてなりません。それはそれとしても、おそらく、いや、確実に本人もそれを明確に意識していたものとおもいます。

 新しき学校で、高校での蹉跌を一気に取り返そうとしていた節がみられました。本当に、高校ではつい見せたこともない、高校入学時の輝きを見せ、意気軒昂に下宿に向かいました。わたしは、忸怩たる思いが、霧散したような気持ちをもったことを、よく記憶しております。

 わたしの晴れ晴れとした思いもあったせいと、大学とは離れたこともあって、息子の内面をのぞくことがすくなくなりました。

 二年生後半の時でした。級友との軋轢が彼を苦しめているのを聞かされたので、下宿をアパートに変えてやりましたが、中学時との類似性を感じてはいましたが、もう息子は大人であるとの意識もあり、それほど主題化して彼と話し合っては見ませんでした。それよりも、大学後の就職のことで、これについては色々とアドバイスしたつもりですが、これといって明確に受け入れませんでした。しかし中学時代の頑張りをみているわたしには、それは取り越し苦労ような気がしているうちに、二、三の就職試験を受け、不採用になり、大学卒業を卒業いたしました。

 わたしは、市役所の臨時職員の仕事を見つけ、後は、彼の努力に、またもや期待いたしました。しかし三年にして合格せず、それに加えて、高校の同級生たちが陸続として市役所に勤めたせいもあったのでしょうか、仕事への意欲が減退しているように見え、とうとうやめてしまいました。それから公務員受験一本に絞って、勉強するように見受けられましたが、その一年後、言動に微妙な陰がまとわりつくようになりました。

 特に顕著な例として、高校合格時に回帰しなければ、一切が始まらないということです。過ぎ去った時間の追憶に浸りながら、それを繰り返し、繰り返し力説します。それと級友たちとのいざこざを、縦糸に、学校選択を誤ったとかを、「死にたいとか」を横糸にして綾どります。それが昂じた平成十六年八月頃、胸の辺りを中心に四転八倒するほどの苦しさを訴えました。本人は、八戸高校はこの辺の名門校からして、この地域の病院に行くのには、かなりの抵抗感を感じると思われたので、ここから七十キロくらい離れた他県一戸精神病院を、納得させ、連れて行きました。ホリゾンはかなりの精神の安定をもたらします。しかし一過性でありますので、すぐに不安定に陥ります。セルシンの錠剤は、きかないと言って、飲まず、三ケ月ほどで行かなくなりました。

 臨時職員の病院を辞めて三年になり、上記の間,将棋三段であるので、週一回程度の会所がよいと、時々の中学生相手の家庭教師に日を繋いでおりますが、近日それら意欲もとみに低下し、昼夜逆転した生活、それは大学時代からの習い情としても、なにか、肉体までも鈍感になっているような感じがいたします。ここ一年間に二十数キロ太り、食べ方も、なにか思考が欠如しているように感じます。

 さて、これが根源的な病気なのか、あるいは性格から来る一過性のはやり病的なものなのか、もちろんわたしとしては、後者を希求しますが、とにかくとしてなにがなんでも、立ち直ってもらいたい、その具他的な像として、ここ五年以内に小学校教諭の免許を修得し、その間あるいはその後、わたしが手を伸べれる間に、教諭にでもなってもらえば、無上の行幸に感ずる昨今であり、ネットでの勝手なお願いでありますが、伏してアドバイス方よろしくお願いいたします。

( 57歳・男性・工業高校電子科 教諭)

回 答
 息子さんはあいかわらず思春期的な心性にあるのだと思います。この時期は、自分の意志と他人の意志が混在しているわけです。自分で何かを決めてきたという感覚があまりないのでしょう。

 いまさらながら高校時代に戻りたいというのも、こういう人に多く見られるものです。

 しかし、それはその頃の問題ではありません。現在が気に入らないわけです。人は現在にそこそこ満足していれば、どんなにつらい過去があったとしても「そんなこともあったね」と思えるものなのです。しかし、現在がだめだと、その原因は過去にあったと考えがちです。要は、今をもうひとつ充実することです。でも、その手がかりがない。見つけられない。これは苦しいですね。

 よほどの人でない限り、過去は今さら変えられない、戻れないということはわかっています。息子さんもそうでしょう。しかし、それでもそれを言いたいという気持ちを理解することが大事かもしれません。そんなことを言っても始まらないと思ってしまって(それは普通の考え方ですが)、そう思う中で接していても事態は何も変わらないでしょう。たとえば、お子さんを不慮の事故でなくした人が、「あの子が生きていれば」とついつい口に出してしまうことを誰が責められるでしょうか。

 あなたはこれまで息子さんのためにがんばってきました。でも今必要なのは変えることではなくて、より本人の立場に立って理解することではないかと思います。厳しいことを言うようで申し訳ございません。でも私には、「僕はお父さんのようにできないんだよう」という悲痛な叫びが聞こえてくるような気がするのです。


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