南野 森(九州大学教授)
日本国憲法の条文を暗記している現役高校生アイドルがいると聞かされたのは、昨年7月末のことだった。それは、AKB48のメンバーである内山奈月さん(私はAKBのことはほとんど知らず、メンバーが48人ではないということさえ、つい最近知ったほどである)。昨年6月のコンサートで、内山さんは憲法48条と100条を、日本武道館を埋めた大観衆の前でスラスラと披露したというのだ。もちろん、暗記して損ということはないが、私など、大学で憲法を教えるようになってもう10年が過ぎたというのに、たった103条しかない憲法でさえ、その条文のすべてなど、いまだに覚えてはいない。
ところで、その半年前、2012年12月の総選挙(こちらは衆議院議員全員を選ぶという意味での総選挙のほうである)では自民党が圧勝し、日本は再び政権交代を経験した。安倍晋三首相が根っからの改憲論者であることもあり、それ以降、たとえば憲法96条改正問題や、集団的自衛権をめぐる「解釈改憲」問題など、憲法にかかわる問題が連日のようにメディアで報じられ、一般社会での憲法に対する関心も、かなり高まっているように思われる。
しかし、私のような憲法研究者に言わせると、世の中にあふれる憲法に関する言説には、明らかに間違っているものや不正確なものが多く混ざっている。実際に憲法改正が政治日程にのぼろうとしている現在、国民が正確な憲法の理解をもったうえで議論することはきわめて重要である(憲法改正を最終的に決めるのは国民である!)から、私は、憲法の正しい理解をわかりやすく一般社会に伝えることが、以前にもまして必要になっているのではないかと考えていた。
内山さんに講義をし、その内容を本にするというアイデアは、それゆえ、私にはとても魅力的に思えた。法学を学んだことのない高校生に、憲法の本質を講義するのは容易なことではないだろうが、これも天が私に与えた一つの使命だろうと大げさに思い込むことで自分を奮い立たせ、ドキドキしながら内山さんへの講義に臨むことにした。それが今年の2月末のことであった。
本当に頭のよいお嬢さん――これが丸々2日間の集中講義を通じて私がもった第一の感想である。この講義は、全体を5講にわけることと、それぞれのテーマを何にするかは事前に決めたものの、残りは内山さんとのやりとりで話が流れていくままに任せる、というスタイルをとった(「講義案は私の頭の中にある!」)。このような私の「カデンツァ」講義に対して、内山さんはとても高校生とは思えない理解力と思考力を示してくれた――本書には私と内山さんのやりとりがほぼそのまま収録されているが、彼女のとっさの受け答えにその利発さが表れていることは一目瞭然だろう――ので、結果として講義は期待を大きく上回る出来映えになったと自負している。
こうしてできあがった「講義録」たる本書は、もちろん憲法学の分厚い教科書のようにすべての論点をもれなく均等に――そして平板に――扱うものにはなっていないが、私が憲法について最も理解してほしいと考えること――憲法の「本質」――を語り尽くした仕上がりになっていると思う。本書を読めば、憲法について理解しておくべき重要ポイントは十分理解できるだろうし、何より、私と内山さんの熱気に満ちたやりとりのおかげで、普通の教科書では読み飛ばしてしまいがちなところや、あまり詳しく扱われていないけれども憲法の本質を理解するために重要な部分は、しっかり感じとれるはずである。憲法を勉強したことのない人はもちろんのこと、大学で憲法を専門的に勉強している学生にも、本書を読んでほしいと思うゆえんである。
本文中の各所に挿入されているノートは、内山さんが講義中に書き留めたものであり、各講義の最後にある内山さんのレポートは、講義後の課題として取り組んでもらったものである。とてもよくできているので、読者の皆さんの知識の整理や復習に役立ててもらえればと思う。
そして、本書の読了後に憲法をさらに深く学ぼうという気になった人は、巻末の「参考文献」を参考にしてほしい。また、一人で読む場合のほかに、たとえば高校生や大学生が授業やゼミなどで教材のように利用することを想定し、各講義の最後に「研究課題」を付した。調べたり考えたり、あるいは議論するきっかけとして利用してほしい。
本書の完成のためには、内山さんの忍耐強い受講が不可欠であったことは言うまでもない。快活で聡明な内山さんのおかげで、講義の空間は2日間とも実に感じのよいものとなった。今後のますますの活躍を祈りつつ、感謝したい。
本書を通じて、一人でも多くの人に憲法の本質(エッセンス)を知っていただけるよう、願ってやまない。
2014年6月 博多にて
(本書「まえがき」より)