巻頭の言葉

ヒラリー旋風への覚悟

(こもりよしひさ)/ジャーナリスト

古森義久


 2007年もいよいよ残り少なくなり、新年の幕開けも間近となった。
 2008年は日本にとって、いろいろな意味での分岐の年となろうが、同時に超大国のアメリカでも大統領選挙が催され、国家としての進路が大きく変わる可能性をはらむ年である。
 その大統領選挙キャンペーンでは、民主党候補のヒラリー・クリントン上院議員の先頭走者としての動向がますます熱い関心を集めるようになった。ヒラリー女史が民主党の候補に指名される見通しが異様なほど急速に高まってきたからだ。
 民主党側各候補のあいだでは、世論調査でみるかぎりヒラリー女史への支持が圧倒的に高くなった。実際の投票は2008年の11月だとはいえ、今年10月末の時点で2位のバラク・オバマ上院議員に、すでに支持率で20ポイントの差を付けてしまった。集めた選挙資金の額でも、中国系米人の犯罪事件被告がかかわった献金85万ドル分を返済したとはいえ、共和党側をも含めてほかの候補たちを圧している。
 もちろん予断は許さない。前回2004年の大統領選でも、ハワード・ディーン候補が初期の争いでトップを走りながら、中盤以降は一気に脱落していった。またノーベル平和賞を得たアル・ゴア前副大統領の再立候補も噂される。ジョゼフ・バイデン上院議員ら、民主党のほかの候補も活動を続けている。しかし、ヒラリー女史が民主党の指名を獲得する確率はかつてなく高くなってきたといえよう。
「政治は一寸先は闇」の真理を認めるにしても、2008年のアメリカの政治や選挙がヒラリー旋風を最大の中心として動いていくことは絶対に間違いないだろう。この点は日本側でも、ヒラリー旋風に直面する覚悟が必要だろう。
 もっともヒラリー女史が民主党内でいくら支持を高めても、一般アメリカ国民が相手となる本番選挙での帰趨はまた別である。
 ヒラリー女史ほど、一般アメリカ国民の側の好悪の情を激しく分ける政治家は珍しい。ギャロップ社の世論調査でも、ここ数カ月、「好ましい」が51%とか 54%という高い数字を記録する一方、「好ましくない」も49%、50%という高水準である。オバマ候補が「好ましくない」は一貫して20%台というのと対照的なのだ。
 ヒラリー女史の政策も「過激なほどのリベラル」と評されることが多い。一般への税負担を重くする。国民皆保険を推進したり、「子供を育てるのは村(共同社会)で」と発言したり、とにかく「大きな政府」を推進し伝統的な価値観に挑む志向は、「社会主義者と変わらない」とまで批判される。「私は家庭でクッキーを焼いているような女ではない」というヒラリー女史の言葉だけを理由に、「もう絶対にヒラリーは支持しない」と断言する民主党寄りの女性に会ったこともある。
 いかにも明晰な頭脳を感じさせるヒラリー女史の雄弁は定評だが、いつも緊迫を保つ言動マナーは受け手を疲れさせる。ゆとりや癒しからはおよそ程遠く、きびきびと、とげとげしくさえ迫ってくる。そんな印象を率直に語るアメリカ人も多い。
 アメリカがまだ経験していない女性大統領という展望から生まれる軍事や安全保障、対テロ闘争という領域での不安もあるだろう。
 夫ビル・クリントン氏の大統領時代の一連の醜聞も、抹消の難しい要因である。それに、もしヒラリー女史が当選すれば、アメリカは1989年以来、ブッシュ家、クリントン家という2つの家族だけが24年間もホワイトハウスに君臨するという状況を迎える。そんな見通しをアメリカ国民の多くが本能的に忌避する傾向も出てくるという指摘もある。
 だが繰り返すが、新しい年、2008年には冒頭からヒラリー旋風が吹き荒れる。この女性が超大国の大統領選の一方のトップ候補になる。大統領にも当選するやもしれない。その可能性が「旋風」の輪を広げ、勢いを強めるのである。
 ヒラリー女史は、外交政策の骨子を10月中旬に出た外交雑誌に論文として発表した。論文は「アメリカにとって中国との関係は、新世紀には世界でももっとも重要な二国間関係となる」と、中国の重要性を強調する一方、日米二国間関係や日米同盟への言及はまったくなかった。日本という国名を挙げたこと自体、ただの2回、しかもいずれも「米中日各国による合同のエネルギー戦略」とか、「オーストラリア、インド、日本、アメリカの協力」という、ほかの諸国を含めての文脈だった。
 もちろん、ここから「ヒラリー・クリントン大統領は日本を捨てて、中国と手を組む」などという早計な結論を出す愚を犯すべきではない。だが、ヒラリー女史の外交認識には明らかに重点のシフトが感じられる。
 現実の事態がそんな方向へ動き出した場合にも、アメリカの同盟相手であるわが日本は慌ててはならない。内なるシミュレーション(模擬演習)を積み重ねるぐらいの準備がなければならない。
 要するに、ヒラリー旋風には柔軟かつ冷徹に対応する覚悟が必要なのである。