ちょうど昭和7年に、私はふと感ずることがありました。今まで一所懸命にやってきたことは、それはそれで立派なことかもしれないが、それだけではいけない。もっと高い生産者としての使命というものがあるのではないかということを考えまして、松下電器の使命を発表いたした次第です。爾来、その真使命にもとづいて、会社は今日まで経営されてきたのであります。
松下電器は坦々とした道を歩んできたわけでは決してございません。しかし、いろんな困難に直面したときに大きな支えとなったものは、われわれの生産人としての使命観であり、それにもとづいて経営してきたことによって、困難に耐え、また努力を続けることができたと思うのであります。
某宗教の本山を見学したことをきっかけに、産業人の使命に思い至った松下幸之助は、これを従業員にも知らせて、ともに真使命の達成に邁進していきたいと考えました。そこで昭和7年5月5日、大阪の中央電気倶楽部に全店員168名を集め、次のように訴えました。
「産業人の使命は貧乏の克服である。社会全体を貧より救い、これを富ましめることである。そのためには、物資の生産につぐ生産をもって富を増大させなければならない。水道の水は加工されて価のあるものだ。しかし、通行人が道端の水道水を飲んでも咎められることはない。それは量が豊富で、安価だからである。われわれ生産人の使命もここにある。すべての物資を水のごとく安価無尽蔵たらしめよう」
あわせて幸之助は、この真使命を250年かけて達成するという壮大な構想を発表しました。250年を十節に分け、第一節の25年をさらに三期に分ける。第一期の10年間を建設時代、次の第二期の10年間を建設を続けつつ活動する活動時代、最後の5年間を建設と活動を続けつつ世間に貢献する貢献時代とするというもので、これを十節、250年間くり返して、世を物資に満ちた、いわゆる楽土にしようと説いたのです。 そして、松下電器が真の創業に入ったこの5月5日を創業記念日に制定し、使命を知ったという意味で、この年を創業命知第一年とすると述べました。「われわれの使命は重かつ大にして、遠大なものだ。今日ただいまからかくのごとく遠大な理想、崇高な使命をわが松下電器は担うこととなる」。
この確信に満ちた力強い幸之助の訴えは、聞く者の胸を打ちました。幸之助の話が終わるや、みなわれ先にと壇上に駆け上がって使命に殉ずる決意を表明し、その熱情ぶりに幸之助は驚きつつも、いいようのない感激を覚えたのでした。
後に幸之助は「このときから目に見えて店員の士気が高まり、私の信念も日一日と強くなっていった」と述懐していますが、使命に生きる喜びに目覚めた従業員の積極的な働きによって、以後、松下電器は発展の一途をたどったのです。
(月刊「PHP」2009年9月号掲載)
松下幸之助とPHP研究所
PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。
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