昭和4年というのはたいへんな不景気で、政府が官僚の賃金カットしたでしょう。そのときにぼくは自家用の自動車買うたんです。大阪で59番目や。
政府から「みな始末せんといかん」という緊縮令が出て、政府みずから自動車に乗らないと範を示したわけです。そしたらパッと不景気になりますわな。ぼくはじっと考えてみて、こういうときにこそ、金をもっている者は金を使わんといかんと考えて初めて自家用自動車を買うたんです。
金のない人が借金してまで使うのは困るけれども、金をもっている人は金を使う、それがぼくは大事だと思う。そうやって消費を適切に高めていったならば、物の生産活動も活発になり、景気は回復し、失業者も少なくなっていくんやないかと思うんです。
昭和4年7月に発足した浜口内閣の緊縮政策や金解禁の断行によって、世の中が不況沈滞の一途をたどっていたころのことです。政府は緊縮一辺倒の施策をとり、民間の会社や団体もこれに倣って緊縮経営を行なったため、消費はますます冷え込み、失業者は増えて、不況は深刻の度を増すばかりでした。
そんななか、自動車のセールスマンが松下幸之助を訪ねてきました。「この節は自動車がさっぱり売れません。松下さんはこの不況期にもかかわらず盛んにやっておられます。どうか助けると思って一台買ってください」。
当時、松下電器には自動車は一台もありませんでした。実際、大阪で自家用車をもっている会社はまだ数えるほどしかなく、それまで幸之助も自動車を買うことなど夢にも思っていませんでした。しかも世間には金や物を使うことが反社会的な行為であるかのような風潮さえあるときです。
しかし、幸之助の頭にはピンとくるものがありました。「経済を向上発展させるためには、生産と消費を同時に高めていかなければならない。今の世の中は消費を高める必要がある。だから物を買える人が買うことは、世のため人のためになる。いま自動車を買ってくれと言われているが、これはいわば世間の要請でもあろう」。
幸之助はその場で自動車の購入を決めました。
また、同じころ幸之助は、「家を新築しようと考えていたが、こう世間が不景気ではなんだか気がひけるから遠慮しようと思う」と言う知人に対して、「それはいかん。こういうときこそ君らのような資産家は建築すべきだ。多くの人に職を与えて喜ばせ、君自身も丁寧な仕事をしてもらえて一挙両得ではないか。躊躇せず、すぐに建てたまえ」と勧めています。
こうした体験を経るごとに、幸之助には、人々が分に応じて物を買い、消費を高めることによって新たな生産が起こり、不景気も解消される。そうしてこそ経済の発展がはかられ、社会の繁栄がもたらされるのだ、という信念が確固たるものとして培われていったのです。
(月刊「PHP」2009年4月号掲載)
松下幸之助とPHP研究所
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