会社がいつも順風満帆で、順調に発展していくことは、まことに望ましいことです。しかし、そういう状態にあると、やはり社員は知らず識らず温室育ちになってしまう。幾多の困難があって、その困難におびえず、喜んでそれを迎えて、そしてそれを切り抜けることがしばしばあってこそ、会社は永遠の発展をしていくものであると私は思うのです。
そうした社員は常に筋金が入っているようになります。だから、いつも順調にいっている会社は、むしろ不幸な会社であります。発展の過程にいろいろの問題が起こって、しかもそのときに志を固くもって、それを突破していくというような体験を積み重ねていることが、われわれの長い人生にはきわめて大事なことではないかと思います。
昭和4年5月に新本店・工場(第二次本店・工場)が竣工、発展に発展を続ける松下電器の姿は業界でも目立つ存在になっていました。
そんな折、7月に発足した浜口内閣の緊縮政策によって経済界は萎縮、不況が深刻の度を深めるなかで世界恐慌が勃発し、日本経済は二重の打撃を受けて混乱に陥ります。企業の倒産が全国に広がり、工場閉鎖や従業員の賃金の減額、解雇も一般化して社会不安が一挙に高まりました。
松下電器も例外ではありませんでした。販売が半分以下に激減、たちまち在庫が増え、12月には倉庫がいっぱいになって製品の置き場がなくなるという創業以来の窮状に追い込まれたのです。
そのころ松下幸之助は病床にありました。そこへ2人の幹部が訪ねてきて、「この危機を乗り切るには従業員を半減するしかありません」と進言しました。これを聞いて幸之助は、一面もっともだと思いながらも、一方で、はたしてそれが本当に正しい道かどうか、ということを考えました。"松下電器は将来ますます発展していかなければならない。せっかく採用した従業員をいま解雇してしまうことは、そうした経営的信念の上にみずから動揺を来すことになる"。
そして、こう指示したのです。「工場は半日勤務にして生産を半減する。しかし、従業員は一人も解雇してはならない。給与も全額支給する。そのかわり店員は休日を返上して、ストック品の販売に全力をあげてもらいたい」。
即日、従業員を集めて幸之助の決断が告げられると、みな歓声をあげて喜び、一致団結して必ずやり遂げようと固く誓い合いました。そうして全店員が無休で山積みになった製品の販売に努めた結果、2カ月で在庫を一掃、工場は半日勤務をやめてフル生産してもなお追いつかないほどの活況を呈するようになったのです。
幸之助は後に、「この体験によって、従業員に筋金が入った。また私も経営者として、ものにはいくらでもやる方法があるのだという大きな経験を得た。非常に強いものがあとに生まれた」と語っています。
(月刊「PHP」2009年3月号掲載)
松下幸之助とPHP研究所
PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。
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