人間は神様ではないから、やはりときにはあやまちを犯す。失敗もする。それは一面やむを得ないことであろう。問題は、どうそれに対処していくかということである。あやまちを犯したけれども、それを自分で認めないとか、知らないふりをするとか、あるいはそのまま放っておくといった姿もあるかもしれない。しかし、それでは正しい対処をすることにはならないであろう。

 やはり、あやまちをした以上はそれを正しく認めて、なぜそういうあやまちを犯したのか検討し、改めるべきはただちに改めていくことが肝要ではないか。もちろん、これは実際にはなかなか簡単にできない場合もあると思う。しかし、それをあえて行うところから、あやまちも単なるあやまちに終わらず、よりよき次の発展へと結びついていくのではなかろうか。

 大正7年の創業以来、松下電器は順調に業容を拡大しつつありましたが、昭和2年、松下幸之助は新たに電熱器分野への進出を志し、電熱部を創設しました。これは、同じ大開町に住む友人である米屋の主人との共同出資で始めたもので、幸之助自身は本店工場のほうも見なければならないため、電熱部の経営はその友人に一任することにしました。

 ところが、「スーパー・アイロン」という人気商品を送り出しているにもかかわらず、電熱部の決算は赤字が続き、経営に行きづまりを来しはじめたのです。

 なぜうまくいかないのか。計画や方針が無謀だったのか、それともそれを遂行していくうえで当を得ないものがあるのか。幸之助は、静かに考えました。そしてあらゆる角度から検討した結果、「自分は、計画と方針を立てれば、あとは友人に経営を任せて、いわば副業のような姿勢で電熱の仕事に臨んでいた。友人にしても、もともと電器については素人だったうえに、米屋も兼業している。だから、二人ともこの電熱部の経営に全身全霊をかたむけて打ち込んでいたとはいえない。そういう中途半端な態度が行きづまりを招いたのだ」という結論に至りました。

 痛く反省した幸之助は、電熱部の経営を根本的に立て直すため、共にやってきた友人ではありましたが、意を決して率直に話しました。

 「私が間違っていた。素人の君に経営を任せっきりにしたのは、私が電熱を軽視していたということになる。本来なら、新しくつくった電熱部は、私が全力を尽くして当たらなければならなかった。今後は私自身が真剣に打ち込むから、君にはこの際、手を引いてもらえないだろうか」 結局、その友人は、松下電器と離れたくないからということで家業の米屋をやめ、あらためて店員として松下電器に入ったのでした。

 兼業の友人との共同経営というあいまいなかたちを改めた電熱部は、その後ほどなく軌道に乗り、アイロンのほかにストーブやコタツも手がけるなど、発展の道を歩んでいったのです。

(月刊「PHP」2008年9月号掲載)

松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

■月刊誌「PHP」

お互いが身も心も豊かになって、平和で幸福な生活を送るため、それぞれの"知恵や体験を寄せ合う場"として昭和22年から70余年にわたり発刊を続け、おかげさまで多くのご支持をいただいています。

PHP.JPG