第68回PHP賞受賞作

室伏三鶴

静岡県・作業療法士・38歳

深夜、居間で一人机に向かっていると、祖母が入ってきた。「親方は? ねえ、親方は?」返答に窮する間に、祖母は暗い廊下を玄関のほうへ向かって行く。「親方はここにはいないよ」。あわてて祖父母の寝室へ連れて行く。しばしばこのようなことがあった。私には荷が重すぎる。邪魔しないでくれ。

中学3年生のとき、祖母が認知症になった。そのころ担任の先生に「部活のことを作文に書いて朗読してほしい」と頼まれた。地元のラジオ局で放送するという。先生は私の陸上大会の日記が好きだったのだ。引き受けてはみたが、作文となると肩ひじを張ってしまう。何度書いても言葉と心が乖離して筆が進まない。無理やり書き上げたが、「どうしてこんなに堅苦しいの」と、書き直しを命じられた。

家族が寝静まったころに一人で作文に向き合う。何も思いつかず、時計の針の音ばかりが居間に響く。すると戸が開いた。祖母だ。眉間にしわを寄せ、険しい顔をしている。あたりをきょろきょろするが目は合わない。こちらに気づいていないようである。

祖母の笑顔を最後に見たのは、いつだっただろう。祖母は、いつも寄り添って自分のことのように受け止めてくれた。幸せをかみしめるように頷く顔。涙があふれるほど心配する顔。私が知る顔は、おおむねそのどちらかだ。祖母の顔のしわは、この2つの表情が刻まれたものなのかもしれない。自分の欲を押し殺し、ただひたすらに愛を与えることに生きた人なのだ。

祖母は再び玄関へ歩を進める。何でこんなときも祖母の心配をしなければならないのか。腰を上げて祖母の背中を追う。少しイライラしていた。

「孫はいくつになっても、かわいいよ」

文章を書いては消して1週間が過ぎた。どうにか先生に受け取ってもらえたが、いまひとつ納得のいかない顔をしていた。もう作文に向き合うことがつらく、あまり朗読の練習もせずに録音の日を迎えた。

マイクを前にして自信のなさが浮き彫りになった。緊張して声は上ずり、何度もつっかえる。これがラジオで流されるのか。気持ちを削り取られるようだった。

帰り道、家の前の通りに祖母の背中を見つけた。勝手に家を出て帰れなくなったに違いない。すぐ隣に並んで歩いた。まじまじと祖母を見る。こんなに小さかったのか。染めなくなった髪も真っ白になって、ずいぶんと老いを感じる。

祖母は私に学校のことを尋ねると、こう言った。「孫はいくつになっても、かわいいよ」。何と言葉を返したらいいかわからなかった。川の水がちょろちょろと流れている。無言のまま、2人で家の門をくぐった。

笑っていれば、幸せになれる

ラジオの放送は夕食の時間だった。いつ流れ始めてもわかるように、家族は黙々と食べながら耳を澄ませた。静かな食卓に祖母のきゅっきゅっと咀嚼する音が響く。私の朗読が始まった。この放送をだれが聴いているのだろう。早く時が過ぎ去ってほしい。こんな苦痛には耐えられない。

ラジオから声が消えると、母は笑顔で私を見た。視線を合わせないようにしながら夕飯の残りを食べる。感想は聞きたくない。傷つくのがわかっている。するとテーブルの向こうから、祖母のすすり泣く声が聞こえてきた。

「みつる、よかったええ......よくがんばったええ......」。しわくちゃの顔に涙がぽろぽろと流れる。私は家族の視線を気にして目をそらした。涙を拭く祖母の姿を見ないようにご飯を口に運び続ける。祖母が喜んだ。それだけで、この作文に取り組んだ意味はあったのかもしれない。そう思えたとき、気がついた。

私はこれまで、祖母にいらだっていたのではない。祖母をわかることができない自分にいらだっていたのだ。幼いころのように、祖母に認めてもらいたかった。受け入れてもらいたかった。どんな私でも。どんなあなたでも。わがままだろうか。愛を与え続けることに徹したあなたのように、私はいつまで経ってもなれそうもない。だれにも目元を見られないようにしながら、自分の部屋に入る。こらえていた涙があふれた。

細い道を紫色の自転車が軽やかに走る。右側には小川、左側にはどこまでも続く水田が、空を映している。そして、えんじ色の服を着た、私より大きな背中が目の前にある。うしろに座る私に、やわらかい声で話しかける。「みつる。人間はね、笑ってる顔がいちばんいい顔なんだよ。だからね、いつも笑っていようね。そうすれば、幸せになれるから」。

ほわっと、たんぽぽの綿毛が飛ぶように、やさしさが心に灯る。あなたが言うなら疑わない。私は少しでも、あなたに近づけているだろうか。今日はもう少し笑っていこう。

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