PHP研究所主催 2024年度文部科学省後援
第8回PHP作文甲子園 優秀賞受賞作
林 優月
京都府立桃山高等学校1年
私の「たからもの」は『ことば』だ。
中学生の頃に出会った友達がいる。彼女は先天性の難聴で、人工内耳で生活している。私は彼女と出会った日から手話に興味を持ち、勉強を始めた。
彼女と手話での初めての会話は「一緒に帰らない?」「うん。帰ろ!」だった。普段自分から誰かを誘うことはめったにない。だけど私はずっと一緒に帰りたいと思っていた。こんなにもまっすぐ気持ちを表現できたのは初めてだった。手話は目に見えないものの輪郭を捉えて形にできる。うまく話せなかった自分も気持ちを伝えられた。私の『ことば』は私の心からすっと飛び出していった。
ある日の帰り道。「いつか恋人と手を繋ぎたい」と彼女は言った。でも彼女は続けて言った。「だけどそうなってしまったらどうしたらいいのかわからない」。はっとした。彼女にとって手を繋ぐことは「言葉を自由に話せなくなる」こと。もし自分から言葉がなくなったらどう感じるだろう。
あれこれ考えていると彼女はすっと私の左手を手に取った。駅について手が離れたとき、「なんで手を繋いだの?」とたずねると、彼女は「わかんない」と笑った。「たしかに手を繋いだら言葉を交わせないけれど、手を繋ぐ瞬間に言葉はいらないってわかった」って。
彼女に出会うまで、私は目で見て耳で聞くことしか知らなかった。でも彼女が教えてくれた。『ことば』は目で聴くことができる。『ことば』は手で語ることができる。手話でも。手を繋ぐことでも。
手話で話す中でうまく伝わらずもどかしいこともあるけど、伝えたい人にだけ伝えられることがある。手話は魔法の言葉みたいだ。普段は照れくさい「ありがとう」、けんかしたあとの「ごめん」、大好きな人への「I love you」。
聴者、難聴者、ろう者。人それぞれ個性や環境は違う。それでも大切な人のために。私は今日も『ことば』を紡ぐ。口と耳を使って、手と目を使って。