第68回PHP賞受賞作
綿貫清美
神奈川県・中学校教員・39歳
小学校の卒業直前の冬に、仲良しグループから仲間外れにされてしまった。原因は自分の日々の言動にあった。解決は困難を極めたが、そんな私のために、担任の先生は時に寝ずに悩み、時に目を真っ赤にして話を聞き続けてくれた。
「もし目の前に川があって溺れている人がいたら、真っ先に助けるだろう。その人が何をしたとかそんなことは二の次だ」と、学校へ行くことが苦しくてたまらなかった私の味方でいてくれた。他人のためにここまで一緒に考え、助けてくれる人がいるのか。私も学校の先生になって、生徒に寄り添える人になりたいと思うようになった。以来、その夢が原動力となり、受験を含め、さまざまな困難があっても、迷いなく突き進むことができた。
しかし、初めてくじけそうになったのが、教育実習だった。1カ月前から名簿をもらい、フルネームを暗記した。髪の毛は人生で初めてショートカットにした。実習中は朝も帰りも人一倍大きな声であいさつし、最終下校後に全校生徒の靴箱を見て、かかとを踏んでいる子の上履きを直そう。待ちに待った生徒との日々に全力で向き合うと決めていた。
実習は3週間。最初の2日は物めずらしさに声をかけられたが、あっという間に、向こうから近づいてくれることはなくなった。会話も続かない。実習仲間のほうが生徒との距離が近いように感じ、私には教師の素質がないのかもしれないと思うようになった。
生徒との距離が縮められないまま一日一日が過ぎていく。1週目の金曜日には、帰りのバスを待っているとほろほろと涙がこぼれ、ベンチで途方に暮れた。ここまでの日々は一体何だったのだ。向き不向きがあるとすれば、向いていないのだろう。なぜそのことに気づかず、独りよがりの努力をし、邁進してきたのか。そう思うとむなしくて、初めて夢がぼやけてきた。
赤いボールペンを1本使い切る
しかし、ふと6年生のときのあこがれの先生が思い浮かんだ。先生はいつも提出物にきれいな字でコメントをくれた。それがうれしくて、返却が待ち遠しかった。あと2週間、もしかしたら先生として生徒の前に立てる最後かもしれないから、私も生徒のプリントにたくさんのコメントを書こう。赤いボールペンを買い、この1本を使い切ろうと決めた。
そしてはじまった2週目。こちらがたくさんコメントを書くと、生徒もいろいろな話を書いてくれるようになった。「先生、今度卓球部を見に来てください!」「授業でほめてくれてうれしかった」「明日は挙手します!」など。お弁当の時間も、コメントのやり取りのおかげで会話がはずむようになってきた。
ある日、コメントの情報をもとに、無口でおとなしい子に「料理が得意なんだよね? 将来はシェフになるのかな?」と声をかけてみた。すると、にこり。周りの子も「そうなの?」と驚いている。「お弁当もときどき作る」と、声を出してくれた。「食べてみたいね」とみんなで新たな一面を知った喜びを分かち合い、とてもあたたかい雰囲気になった。
赤いボールペンがまさに1本なくなりかけたころ、実習最終日を迎えた。笑顔で実習を終えることができるのか、また強い気持ちで夢を追いかけ続けられるのか、そう考えると私の顔は曇ってしまった。
生徒が作ってくれたチャーハン
お弁当の時間、ある子が「先生、見て! このチャーハン、作ってきたんだって」。シェフになりたいと言っていた子のお弁当を指差している。照れくさそうに、「先生、今日最後だから」と差し出してくれた。「え? 食べていいの?」「先生の分」と、その子はにっこり。その瞬間、じわりと涙が目にたまってきた。とんでもなく大きな勇気をもらった気がした。「めちゃくちゃおいしい!!」と言ってその子を見ると、またにっこり。私自身、実習一の笑顔があふれていたと思う。
朝早くから作るのは大変だっただろうな、一生懸命作ってくれたんだな、そう思うと言葉にできない幸せな気持ちでいっぱいだった。その日はたくさんのサプライズを経験し、1週目の金曜日とは真逆の、笑顔いっぱいの涙顔で教育実習を終えることができた。
今、私は中学校で教員をしている。あのときもらった勇気のおかげで、あきらめずに夢を叶えることができた。
教育は愛だと思う。さまざまな問題に直面しても、生徒と愛を持って向き合うことを大切にしている。それは恩師が見せてくれた姿だからだ。不器用でも愛を持って接すると、その何倍もあたたかいものを返してくれる。私に勇気をくれたあの生徒に、そして日々たくさんの笑顔をくれる教え子たちに、心から感謝している。ありがとう!