第67回PHP賞受賞作
小泉一輝
長野県・公務員・45歳
2023年8月25日。10カ月ぶりにそろった家族がダイニングテーブルを囲って、豪華なお刺身とお寿司の夕飯を食べ終えたあと、妻がサプライズで買ってきたケーキに子供たちが歓声をあげた。フルーツたっぷりのホールケーキ。子供たちが1本ずつろうそくを立て、妻が火をつける。「せーのっ!」の声に合わせて僕はろうそくの火を一気に吹き消した。ケーキにのったチョコレートプレートには、こんなメッセージが書かれていた。
「パパ退院おめでとう」
前年の10月。僕は突然の病に倒れた。救急車で緊急搬送され、11日間意識不明だった。奇跡的に意識が戻ったものの、過酷で壮絶な闘病生活が始まった。病名は脳脊髄炎。全身の筋力が失われ、左手しか動かず、人工呼吸器をつけていて話すこともできなかった。しばらくして一般病棟に移ったあとも発熱が続き、新型コロナウイルスに感染したり、白血球減少症を発症したりと、2カ月間何度も死線をさまよった。次々に自分に襲いかかる苦難に、完全に心が折れていた。
それでも僕の心をつなぎとめてくれたのは、その年のクリスマスに起きた出来事だった。
子供たちがサンタさんにお願いしたもの
毎年、12月に入ると子供たちはサンタさんに手紙を書く。サンタさんは、お願いしたプレゼントをくれる夢のような存在。普段親や祖父母には頼めないようなものを毎年お願いしていた。でも、その年の長女のお願いはいつものそれとは違っていた。
「毎年プレゼントをありがとうございます。今年はほしいものが思いつかないので、かわりに頼みたいことがあります。なんでもいいのなら1つだけ。パパの病気を治してください。早く元気にしてください。早くパパに会いたいです」。妻から送られてきた手紙の写真は、涙でよく見えなかった。
長男は、根っからのサッカー少年だ。誕生日やクリスマスにほしがるのは、サッカーグッズばかり。サッカーボールやスタープレーヤーの名前入りレプリカユニフォーム、スパイクにジャージまできりがない。
その長男がお願いしたのは、レフェリーが使うカードセット。レッド、イエロー、グリーンの3種類のカードが入っている。クリスマスの夜、長男が真新しいユニフォームに身を包み、レッドカードを掲げている写真が送られてきた。そこには一言、こう添えられていた。
「病院退場!」
僕にレッドカードを出すために、カードセットをほしがったのだという。妻から送られてきた写真が、また涙でぼやけていた。
僕はひとりじゃない
病床で初めて一人で迎えるクリスマスに、なんとか気持ちを保たせようと、妻にコンビニスイーツを差し入れてもらい、ささやかにクリスマスの雰囲気を味わおうとしていた。
24日、妻から2つの大きな紙袋が届いた。1つの袋には、友達家族からのプレゼントが入っていた。吸水性抜群のタオルに添えられたカードにはメッセージが。
「今はつらいと思うけど、これからは家族に会えたり、何かができるようになったり、夢が叶ったりと喜びがたくさん。このタオルはそんな『うれし涙』をぬぐうタオルです!」メッセージを読み終わる前にタオルを使うことになるとは。
もう1つの袋には、大きな色紙が2枚。職場の数十人の同僚、友人、家族......僕を励ます言葉の数々に、もう、とめどなくあふれる涙を抑えることができなかった。そして妻からの言葉は、絶望の日々にいた僕に「ひとりじゃない」という思いと、前を向いて歩き出す勇気を与えてくれた。
「たくさんの人がパパのことを心配しています。たくさんの人がパパのことを応援しています。たくさんの人がパパのことを待っています。パパはひとりじゃないよ。みんなパパのことを想っています。長くてつらいリハビリになるかもしれないけど、確実に前に進んでいるよ。ゆっくりでいいから、一緒に歩いていこう。『離れていても心は1つ』。笑顔で会える日を心から願っています♪」
あれから1年半。「重度の麻痺のため、一生下半身は動きません」と言われた足は、リハビリの末、歩行器で歩けるまでになった。さまざまな壁を乗り越え、試行錯誤を繰り返し、不可能と言われた復職もはたした。
ここまでの軌跡には、ほかにも僕の心を救ってくれた多くの出来事があった。それでも、2022年のクリスマスが、僕にとって大きなターニングポイントになったことは疑いようがない。