第67回PHP賞受賞作

向井まゆみ

和歌山県・主婦・71歳

「今日は、ぜったい断ってくるんだよ」 その日の朝、出勤前の私に母は強い口調でつげた。でも返事はしなかった。すると腹をたてたのか、母はヒステリックに「わかったね。ぜったいに断るんだよ」と言った。

母は外見は上品だが、実は激しい性格で、三カ月前から付き合いはじめた彼との交際に反対していた。彼は長男で本家の跡取り、そして実家は農園を営んでいる。一方、私はサラリーマン家庭で不自由なく育ち、農作業などはしたことがない。その上、体も小さく病弱で、しっかりしていない。

まだ結婚の話は出ていないが、このままいけば、未熟で世間知らずの私には荷が重すぎて、相手方に迷惑をかけると母は心配していた。それは、私も理解できた。

仕事中もずっと私の心は揺れていた。しかし将来のことを考えると自信がなく、母の言う通り交際を断ろうと思い、心を決めて待ち合わせの喫茶店に向かった。軽くお茶を飲んでから、いつものように、彼は明るく私を食事に誘った。何も知らない彼は、楽しくおもしろい話をしてくれる。いつもは私も話に花を咲かせるが、そんな気になれず静かにしていた。「どうしたんや」「仕事で何かあったんか」と、彼はまじめな顔で私に問うた。

「悪いけど、車をそのお店の駐車場に止めてくれる?」ぼんやりと光る一角に車は止まった。「なんや......。真剣な話なんか」と彼は私を直視した。内心ドキドキし、「なんて切り出そうか」と焦る。無言の私に、何か察した様子の彼は「悪い話なんか?」と窺うように問う。心の中で「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝る。そして「失礼なことを言わせてもらうけど許してね」と口火を切った。「あのう、私ね。これからのあなたとのお付き合いに自信がないの。今日で終わりにしたいの......。今まで本当にありがとう。とても楽しかったわ」と、やっと言えた。

突然のことに、彼は気が動転していた。そして「俺のどこが嫌なんや。何が原因や」と強い口調で迫る。心の中で、「悪いのはこの私。あなたは何も悪くない......」と涙があふれて、二人とも無言のまま数十分が過ぎた。

彼は「近くのスーパーまで送るわ」と車を走らせた。短い距離なのに長く感じられた。明るいスーパーの入口で彼は私を降ろした。そして「俺の気持ちは変わらんよ」と言って去って行った。小さくなる車の後ろ姿がとてもさみしく、つらかった。

「自分に正直になりなさい」

私は茫然としてスーパーに入り、赤い公衆電話にかけ寄った。祖母が一人で住む隣町の家に、十円玉をガチャガチャと入れながら必死でダイヤルを回した。誰かに心の内を聞いてもらいたかったのだ。すがりたかったのだ。

いつものように落ち着いた声で祖母が出た。ほっとした。同時に、「ばあちゃん......。今ね、別れてきたよう......」と、ふりしぼるような声で言った。いっぱい、いっぱいに涙があふれ流れた。

祖母は母から聞いて、私たちの交際についてはいろいろと知っているはずで、祖母も母の味方をすると私は思い込んでいた。

しかしまったく違った。いつもやさしい祖母が、びっくりするほど取り乱し、大声で「そんなに泣くほど好きやのに、どうして別れるの。自分に正直になりなさい。さあ、泣かないで......今からでも遅くないよ」と勇気を与えてくれたのだった。とてもうれしかった。祖母が背中を押してくれた。夢のようだった。自分の気持ちに目が覚めて、そこからすぐに彼の家に電話をした。

「さっきはごめんなさい。私もやっぱり、あなたは大事な人です」と伝えた。今度は反対に厳しくけなされ別れをつげられるかもと不安だったが、彼は何もなかったかのように「よかった。ありがとう。今まで通り仲良くしような」と言ってくれた。うれしくてほっとした。

ばあちゃんのおかげだよ

同い年の彼とは「歴史を訪ねる会」という催しで、担当者と参加者として出会った。私の忘れ物を届けてくれたのが機で交際を申し込まれ、清い交際を続けていた。

母も干渉しなくなり、私たちは半年後に結婚した。母が心配していたことも、夫の協力と自分の努力で難なく乗り越え、二人の息子と二人の孫に恵まれて、今年、結婚四十七周年を迎える。あのとき、祖母のあの言葉がなかったら、今の私たちはなかっただろう。

いつも思うにつけ、「ばあちゃん、ありがとうね。ばあちゃんのおかげだよ」と手を合わせる。そして、振り返ればちょっとドラマのような大恋愛だった。これからも夫婦仲良く人生を歩んでいきたい。感謝を忘れずに。

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