第67回PHP賞受賞作

大山美咲

京都府・会社員・31歳

27歳の夏、急に髪が1カ月ですべて抜け落ちてしまった。髪が抜けるのは初めてではなく、二度目だった。一度目は14歳のころで、そのときは原因がわからずじまいだったが、今回は数年前の病気が原因だった。

枕に大量の抜けた髪が散らばっているのを見て、朝起きるのが怖くなった。一度目とは違い、眉毛やまつげも抜け、もう二度と生えてこないのではと恐怖に駆られた。

人前に出る仕事をしていたので、一刻も早くなんとかしなければと、ネットでウィッグを買った。しかしいざ着用してみると、毛量が多く明らかに不自然で、似合っていない。それでもなんとか1週間は着用して会社に行ったが、夏の暑さでとても蒸れ、臭いも気になったので、週末にウィッグを洗ってみた。

すると髪の毛がひどく絡まり合い、ドライヤーで乾かすと分け目も変になってしまった。変わり果てたウィッグに絶望し、月曜日からは会社に行けないと泣いた。

藁にもすがる思いで見つけたのが、医療用のウィッグをカットする専門の美容室だった。完全な個室で、ほかのお客さんに会わないよう配慮れていた。すでに髪の毛がだいぶ薄くなっていて、とにかく人に見られたくない気持ちが強かったので、誰にも会わなくてすむことに心底安心した。

広い個室にはおだやかな音楽が流れ、座り心地のよさそうな明るいみどり色のソファと、茶色の革張りのたったひとつの回転イスがあった。

私がかわいくしてみせます

座って待っていると、ふいにお姉さんが現れた。「こんにちは。まずは飲み物をお伺いしますね」。ハーブティーを選ぶと、お姉さんがたっぷりのハーブティーと、「膝に置いてくださいね」とこげ茶色のやわらかい抱き枕のようなクッションを渡してくれた。

この一連の出来事に、体のぎゅっとこわばっていた部分がだんだんほどけて、ゆるんでいくのを感じた。美容室を予約してから来るまでは、はずかしさ、やるせなさ、ぶつけようのない悲しみや怒りのようなものに体が覆われていた。こぶしを握りしめ、くちびるをかみ、ずっとうつむいていた。しかし、心地よい空間とお姉さんのやさしさに包み込まれ、自然と顔が上がった。

その後、お姉さんは丁寧に私の話を聞いてくれた。深刻な感じでもなく、かといって明るすぎることもなく、ただうんうんと聞いてくださった。そしてひとこと、「かわいくしましょう。私がかわいくしてみせます」と言って笑った。その屈託のない笑顔に、私はこの方にならきっと任せても大丈夫だ、と確信した。

お姉さんは「人の髪とウィッグはカットの仕方が全然違うんですよ~」と言いながら、髪の根元からどんどんはさみを入れていく。そんなに毛量を減らして大丈夫なの? とこちらが不安になるほど、バッサリと。

しかし仕上がったウィッグは私にぴったり似合い、何よりかわいかった。うれしさとほっとした気持ちが入り混じり、私は鏡に映る自分の姿を見て、泣きながら笑っていた。

ないものは補えばいい

その後、毎月その美容室にウィッグのメンテナンスに通った。お姉さんは毎回髪型を少しずつ変え、ちょっとしたアレンジの仕方を教えてくれた。おかげで、いつからか私はウィッグをつけることに抵抗がなくなり、むしろ楽しめるようになっていた。参加をあきらめようとしていた友人の結婚式でも、とびきりかわいくアレンジしてもらったウィッグをつけ、友人と笑顔で写真を撮ることができた。

お姉さんに言われて、とても印象に残っている言葉がある。それは、「目が悪い人が眼鏡をかけるように、耳の悪い人が補聴器をつけるように、髪の毛のない人はウィッグをつけたらいいんですよ」という言葉だ。

私はこの美容室に来るまでは、ウィッグをつけることははずかしいことで、そんな状況になった自分にも絶望していた。しかしお姉さんの言葉を聞いて、ないものは補えばいいのだと気づいた。どうしようもないことでむやみに不安になったり、怒ったり、悲しんだりする必要はないのだと自分の中で納得してからは、本当に気持ちが楽になった。

その後、美容室には1年半通い、今ではウィッグはまったく必要なくなった。やはり自分の髪で過ごせることはうれしい。それに、たとえまた髪が抜けてしまっても、今度はきっと大丈夫だと思っている。

これから年齢を重ねる中で、ままならないことに遭遇しても、私は私。足りないものは補い、どうしようもないことは受け入れる。たったそれだけでいいのだ。

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