第66回PHP賞受賞作

浜崎実和

福岡県・無職・42歳

12年前、結婚周年記念に夫と2泊3日で沖縄へ旅行した。写真で見たままの美しい海が私たちを迎えてくれた。夫は初めて、私は2度目の沖縄だった。

最終日の周遊バスツアーで行ったのは平和祈念公園。六月中旬だったが、すでに梅雨明けした沖縄は真夏の太陽が照りつけていた。添乗員さんはいたが、自由散策だった。

バスを降りたところで、 20歳ぐらいの若い女性がツアー客に声を掛けていた。無地の黒いTシャツに黒のジーンズ。パッと花が 咲いたような笑顔で、「ボランティアでガイドをしている 知念と申します。よろしければご案内いたします」 と言った。私たちは知念さんに案内してもらうことにした。ほかのツアー客もほとんど知念さんについていった。

ひと通り案内が済んだあと、知念さんがツアー客を集めた。
「みなさん、私に時間をください。お話をさせてください」
私は夫と顔を見合わせた。この暑いのに嫌だなと思った。早くクーラーのきいたバスに戻りたかった。
「暑い中、申し訳ありませんが、私に戦争の話をさせてください」
知念さんはまっすぐな目で私たちを見つめ、頭を下げた。私は急に自分が 恥ずかしくなって、夫とうなずいていた。みんなで彼女を囲むように 木陰の芝生に腰を下ろすと、彼女は話し始めた。

ここで戦争があった。米軍が上陸して地上戦になった。逃げ場を失った多くの人々が「バンザイ!」と叫びながら、美しい海に飛び降りて亡くなった。この公園は平和への願いを込めて作られた――流れる汗をぬぐおう ともせず、知念さんは30分も話し続けた。みんな無言で耳を傾 かたむけていた。

私は昭和32年、「もはや戦後ではない」と言われた時代に生まれた。中学生のとき、ジローズが歌う「戦争を知らない子供たち」が流行った。戦争なんて遠い昔のことだ。自分には関係ないと思っていた。

無関心だった自分

初めて沖縄に行ったのは短大の卒業旅行だった。 久米島のリゾートホテルに泊まった。無人島へ行ったりグラスボートに乗ったり、沖縄の海を満喫した。本島ではタクシーを一日借り切って、 隠れた名所を観光した。ひめゆりの塔にも平和祈念公園にも行かなかった。仲良し4人グループの旅はただただ楽しかった。あのとき、私は知念さんと同じくらいの年齢だった。知念さんの話が終わったとき、だれも何も言わなかった。みんな立ち上がり、無言で海を見ていた。夫と私も海を見ていた。泣いている人もいた。私はここから飛び降りて亡く なった人たちに思いを 馳せた。

悔やしかっただろう。悲しかっただろう。 怖かっただろう。

ここで戦争があった。私が生まれる前、何十年も昔の話。知念さんの話は、初めて聞くことばかりだった。私は何も知らなかった。知ろうとしなかった。私には関係ないと思っていたから。今、ここで知れてよかった。 多くの人々の命を飲み込んだ沖縄の海は、どこまでも青く美しかった。
「今の気持ちを、忘れないでください」
うしろで知念さんの声がした。

6月になると思い出す

那覇空港に向かうバスの中で、 一緒に話を聞いた添乗員さんに、「平和祈念公園では、知念さんのような戦争の話をするボランティアのガイドさんが多いのですか?」 と尋ねた。添乗員さんは「戦争経験者のボランティアさんが戦争を語ることはありますが、あんなに若い女性は初めてです。まるで沖縄戦で亡くなった人々の魂 が宿っているみたいでした」と教えてくれた。

戦争体験がない若い知念さんが、なぜ戦争を語るのだろう。ここが沖縄だから? 身内に戦争経験者がいるから? 本人に聞けばよかったと後悔した。知念さんのことが一番の旅の思い出になった。

あれ以来、毎年6月になると平和祈念公園でのことを思い出す。どこまでも青く美しい海と知念さんの言葉を。「今の気持ちを、忘れないでください」―― 忘れてはいない。これからもきっと忘れないだろう。知念さんは今も沖縄を訪れる人たちに「戦争」と「平和」を語り続けているのだろう。

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