第66回PHP賞受賞作

秋山礼子
秋田県・主婦・46歳

「重い障害があることが明らかで死産の可能性が高く、産まれても、医療ケア児として生きられる期間は短いでしょう」
このような説明を受けたとき、産むか産まないかの選択は親に委ねられます。また、ごく短期間で意思決定をしなければならないことがほとんどです。
中絶できる期間までに障害がわかった場合は、中絶するかどうかを決めることになります。その期間が過ぎてしまっている場合は、出産までの間におなかの中で亡くなってしまうことが多いため、それを覚悟で妊娠を継続します。そのうえで出産のときに死産を覚悟で自然分娩にするのか、積極的な治療を望んで帝王切開にするのかなどを選択していくことになります。
産まれてこられたとしても重篤な場合が多いため、赤ちゃんに最小限の治療のみをして自力で生きられる時間を一緒に過ごすのか、命を可能な限りつなぐために手術なども含ふくめて医療のできる限りを尽つ くしていただくのか、という選択もあります。

決断が揺らいだ先生の言葉

命がつながれた場合、医療機器をつけた状態でいずれは在宅介護に向かうことになります。その際に家族や地域のサポートがどの程度あるのか、私や夫が1人ないしは2人で抱えこんでしまい、つながれた命の尊さを感じられず苦しいだけの日々になってしまわないか......。考えても考えてもキリがありませんでした。
そして何より、自分が中心となって命についての決断をするというその重さに、私がしっかりしなきゃと頭ではわかっていても、心が押しつぶされそうでした。
まだ心が揺らぐ中、面談の日になりました。産科の先生に、赤ちゃんを苦しませるだけになるのなら産まないほうがいいかなと考えていると伝えたとき、「それは違うと思います」と先生はおっしゃいました。
医療従事者が当事者の選択に意見をはっきり言うなんて、と困惑し、先生は私たち家族の気持ちなんてわからないのだろう、と腹が立ったのを覚えています。
悩みに悩んで出した答えだったので、それを簡単に一蹴されたようで、なんとも言えない怒りのような感情と悔く やしいような気持ちが混ざり、ふいに涙なみだが出てきて感情的になってしまいました。そのときは面談後に看護師さんがゆっくり話を聞いてくださいました。

不安な気持ちを整理できた

けれどその先生の言葉をきっかけに、もう一度しっかり自分や家族の気持ちを整理する時間をもつことができました。
あの言葉にここまで心が揺さぶられたのは、きっと本当は産みたい気持ちが根底にあったからだと思います。ただ、産まれたあとのさまざまなことに自分が対応してやっていける自信がなかったのではないかと思います。
障害がある・ないにかかわらず、私に宿った命を、どんな結果になろうともみんなで見守り一緒にいる――それが私たち家族の出した答えでした。

悩みぬいたから、今がある

そこからは何かが吹切れて、もし死産だったら、産まれても数日しか生きられなかったら、経過がよくておうちに帰ってこられたら......など、どのケースになってもがんばっていきたいと思うようになりました。
そして今、大事な大事な家族の一員として、まもなく2歳を迎むかえます。
呼吸器や経管栄養が必要で、一人で座ることもできない状態ではありますが、そのことを悲しく思ったことはありません。それよりもっと喜べることが多いのです。
何よりも今自宅で日々おだやかに家族みんなで生活ができていること、目が合うと笑ったり、おもちゃに興味を示したり、ゆっくりではありますが確実に成長していること、かかわってくれる人たちにかわいがっていただいていること......。すべてが私たち家族に笑顔と喜びを与えてくれています。
もちろんどんな選択をするにも、親はみんな悩んだ末に決定するので、どれも責めることはできませんし、どれがあっていてどれが間違っているということはないのだと思います。
ただ私は、あのときの先生の言葉がきっかけでしっかり考えられたこと、そしてそのときの選択によって今この幸せな時間があることに、とても感謝しています。

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