第65回PHP賞受賞作
野村徹
兵庫県・自由業・57歳
私には50年近く、心に染みついている弁当があります。
それを私は、小学生のころから「特製弁当」と呼んでいますが、要は三色弁当です。
一般的によく知られている三色弁当は、炒り卵の黄色、鮭のほぐし身の赤色(ピンク色)、そしてインゲンの緑色、などの三色です。
しかし、私が特製弁当と呼んでいる三色弁当は、炒り卵の黄色、タラコの赤色(ピンク色)、そして豚肉の茶色、の三色で作ります。
そもそもこの特製弁当は、あなたがよく自分で作って仕事場に持って行っていた、あなたのお昼ごはんでした。
私が小学校低学年のころから、あなたとの2人暮らしが始まりましたが、決して裕福な家庭環境ではなく、お弁当に使えるお金も限られていたと思います。
そんな台所事情ゆえ、少ないおかずでもたくさんのご飯(白米)が食べられるよう、色を見ただけでも全体の味付けは濃かったですね。
炒り卵は醤油味、タラコは生でご飯にのせただけ、豚肉は細切れのものをおそらく醤油とみりんで炒めた焼き肉、という具合の、塩分過多で野菜もなくバランスの悪いものでした。
でも、あなたにはそんな味の濃い弁当がちょうどよかったのかもしれません。
あなたはクリーニング工場で働いていましたが、時には熱いスチームの中で作業することもあり、塩気が必要だったのでしょう。
土曜日のお楽しみ
そんな特製弁当、私も何度も食べる機会がありました。土曜日のお昼です。あなたが特製弁当を仕事場に持って行く土曜日、あなたは私の分も作って置いていってくれました。私のために、父親であるあなたがお手製で特別に作ってくれた弁当、特製の弁当、これが私の中での「特製弁当」の名前の由来でもあります。
そのため、土曜日に学校から帰った私は、その特製弁当を食べて満足していました。ほとんどの土曜日のお昼は、パンやおにぎりなどをひとり食べていた私でしたが、特製弁当が待っている日はさみしさもなく、"仕出し弁当"のような感覚でおいしく食べて満足していました。
"仕出し弁当"のようなという感覚、それは私が勝手に自分の中で設定していた"ごっこ"のようなものでした。
いつも「鰻重」が入っているようなふた付きの重箱の容器に入っていた特製弁当を、ちょっと豪華な"仕出し弁当"と自分に思わせていたのです。
「父の味」が「我が家の味」に
だから、私にとって特製弁当のある土曜日は楽しみな日でした。小学生にとっては相当な楽しみのひとつだったと思います。
特製弁当は器こそ鰻重のようでも、決して豪華な弁当ではありませんでしたが、私は大好きでした。
それゆえ、社会人となり結婚してからも、私は時々特製弁当を自分で作り、妻とともに食べています。もちろん、安価な重箱に入れて、あたかも高級な鰻重のような外観にしています。
そんな特製弁当、妻もお気に入りのようです。私も還暦が近づいてきて、妻と結婚して30年になりますが、その間、特製弁当は我が家の休日お昼の定番メニューになっています。
思い出がよみがえる
あなたは男手ひとつで私を育ててくれました。だから特製弁当を食べるといつも仕事に行くあなたの後ろ姿を思い出し、子供のころの楽しみだった土曜日を思い出します。
私にとって特製弁当は、単になつかしい味ではなく、あなたを思い出す濃い味付けのあなたの味であり、あなたの苦労の味です。
特製弁当は、塩分過多で野菜もなくバランスも悪いですが、そのアンバランスをあなたの味と思い出が補い、私の心情的には整っている弁当です。
私に特製弁当を作ってくれたあなたは、すでに旅立っていますが、我が家にはあなたが作ってくれた特製弁当のレシピが残っています。だからいつでもあなたの味と出合うことができます。
そして、土曜日の今日のお昼は特製弁当です。