石田光規(早稲田大学教授)

1973年、神奈川県生まれ。2007年、東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学(社会学博士)。'16年より、早稲田大学文学学術院教授。『孤立の社会学』(勁草書房)、『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマー新書)など著書多数。

ひとりを恐れて人とつながろうとすると、かえってストレスが生まれることも......。人づきあいの考え方を見直してみませんか?

孤独・孤立の研究をしている立場からすると、「ひとりでも大丈夫」「ひとりでも楽しめる」と簡単に言うことはできません。研究を見ると、やはり、孤独・孤立はあまりよいものではないという結果が大半を占めているからです。
そのように指摘されると、では、どうすればよいのか、と思うかもしれません。そこで、私がおすすめしたいのは、人間関係の重みを切り下げることです。

無理してつきあわなくてもよい

孤独や孤立の問題が注目され、メディアの報道が増え続けています。『週刊東洋経済』2022年11月26日号においても、「1億『総孤独』社会」という特集が組まれ、反響をよびました。
一連の報道にも見られるように、私たちは、濃密な人間関係のない人生を「さびしいもの」ととらえがちです。
一方で、絆やつながりを礼賛する言説は、そこかしこで見かけます。たしかに、固く結ばれた絆は、私たちの人生に彩りを与えてくれるでしょう。
友情を仲立ちとした「友」という絆の意義は、はるか昔、古代ギリシア哲学の時代から論じられてきました。
そこでは、友を持つことは人生の幸せだと言われているものの、そうしたつながりは滅多にできないとも指摘されていました。友人関係の希少性は、その後もたびたび言及されています。
たとえば、フランスの哲学者モンテーニュは、「完璧な友情」は「3世紀に1度でもやってくれば上々」と述べていました。この点を踏まえながら、現代社会の人間関係について考えてみましょう。
人間関係に着目して現代社会の特徴を述べるならば、かつてないほど人間関係が流動化して、不安定になってきた時代だと言えます。
同じ職場や近隣の人とつきあうことが必然とされた時代は過ぎ去り、私たちは、誰とどのようにつきあうか、あるていど選べるようになりました。職場の懇親会に参加するか、近所づきあいをするかは、人それぞれ自由です。
交通手段や情報通信技術が進歩したことで、私たちがつきあう相手は日々めまぐるしく変わるようになりました。今や安定して毎日顔を合わせる相手は、同居している家族以外、なかなかいません。
つきあいの自由度や流動性が増してゆくと、私たちは、イヤなつながりから逃れやすくなります。誰かとつきあうのがイヤならば、無理してつきあわなくてもよいのです。
その一方で私たちは、自分から積極的に動かなければ、なかなかつながりの輪に入り込めなくなってしまいました。
職場の懇親会でさえ自由参加になりつつある時代です。放っておいても私たちを取り込んでくれるつながりは、そうそうありません。

交流しようとすると疲れる

ひとりになることを恐れる私たちは、一緒に楽しく過ごせる仲間をつくろうと努力してゆきます。しかし、かつて哲学者が述べたように、そう簡単に友達ができるわけではありません。
むしろ、孤独や孤立を恐れて仲間をつくろうとする行為が、かえってストレスを呼び込むこともあります。
誰かと友達になろう、せっかくできた友達の輪から切り離されないようにしようとすると、私たちは肩に力が入ってしまいがちです。
つながりを逃さないために、その場の空気を乱さないようにしよう、よい人間だと思ってもらおうと一生懸命に自らをかき立てる。つながりづくりの場で見られがちな光景です。
それ自体はたしかに重要でしょう。しかし、仲間をつくろうと意識するあまり、かえって人づきあいが苦痛になる、ということもあります。
交流のスペースに行ってみたけれど、疲ればかりがたまって、次第に行かなくなってしまった。いろんな場に参加してみたけれど、なんとなく落ち着かない。こういった経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
友達をつくろう、交流しようと意識するあまり、かえって疲れを感じてしまう人は、けっして少なくありません。。
このようなときに私たちが意識すべきなのは、固い友情で結ばれた絆はそう簡単にはできないこと、固い絆がなくても人はそう簡単には孤立しないこと、の2点です。

深い仲にならなくてもいい

身の回りを見渡してみると、つながりをつくる機会はたくさんあります。多くのボランティア団体は担い手不足に悩んでいますし、インターネットを使ったつながりもよいでしょう。
そもそも、なんらかの行動をしようとすれば、人はたいてい、誰かとつながってしまうものです。
どこかに住んでいれば、近所の人と顔を合わせるし、お気に入りのお店に通っていれば、顔見知りもできるでしょう。家族、親族とのつながりを絶つことも、そう簡単ではありません。地域福祉や見守りのシステムは徐々に整備されてきました。誰かと深い仲になろうとしなくても、それなりにつながりはあるものです。
だからこそ私は、つながりについてあれこれ考えて、友達づくりや交流に走るよりも、つながりへの思いや期待はいったん脇において、なんらかの行動をしてみることをおすすめします。

ゆるやかなつながり

交流やつながりづくりを目的とした場では、つながりをつくらなければと身構えてしまい、ついつい肩に力が入ってしまいがちです。
しかし、いきなり強固なつながりをつくろうとしても、そう簡単にできるものではありません。それよりも趣味やボランティアなどの活動をおこない、その延長線上につながりがあるくらいのほうがちょうどいいでしょう。
交流以外の目的で居合わせた人とゆるやかにつながりつつ、気が合えば深い関係に発展してゆく。誰かと友情をはぐくめればもうけもの、くらいの気持ちでいたほうが、たがいに気を遣つ かわず、よい距離感でいられると思います。
つながりは必要ではありますが、そこにとらわれすぎても、身動きがとれなくなったり、疲労感が増したりしてしまいます。
まず、人間関係に対する思いを切り下げ、興味あることをやりつつ、人とゆるやかにつながるのがよいでしょう。そのほうが気分よく人とつきあえると思います。

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