楠木建(一橋ビジネススクール教授)

1964年、東京都生まれ。'92年、一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。専攻は競争戦略とイノベーション。2010年より現職。『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『絶対悲観主義』(講談社+α新書)など著書多数。

失敗をおそれて動き出せない――。 そんなときは「絶対悲観主義」をおすすめします。

しばらく前に『絶対悲観主義』という本を書きました。「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中にはひとつもない」という前提で仕事をする── 僕の仕事に対する構えがこの本の主題です。
近年、GRIT(困難に直面してもやり抜く力)とかレジリエンス(逆境から回復する力)が注目されています。この種の言葉がもてはやされているのは、困難や逆境に直面したときにやり抜くことができず、心が折れてしまう人が、今の世の中にそれだけ多いことを暗示しています。
僕に言わせれば、GRITやレジリエンスはある種の呪縛です。「うまくやろう」「成功しなければならない」という思い込みがある。だから、ちょっと思い通りにならないだけで、「困難」に直面し「逆境」にある気分になる。克服するためには「やり抜く力」や「挫折からの回復力」を獲得しなければならない──ずいぶん窮屈な話です。

成功の呪縛から自由になる

世の中に言う悲観主義は実のところ根拠のない楽観主義です。最初のところで「うまくいく」という前提を持つからこそ、「うまくいかないのではないか」と心配や不安にとらわれ、悲観に陥るという成り行きです。フランスの思想家ベルナール・フォントネルの言葉に「幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待することにある」があります。これは絶対悲観主義の考え方そのものです。
こと仕事に関して言えば、そもそも自分の思い通りになることなんてほとんどありません。この元も子もない真実を直視さえしておけば、戦争や病気のような余程のことがないかぎり、困難も逆境もありません。逆境がなければ挫折もない。成功の呪縛から自由になれば、目の前の仕事に気楽に取り組み、淡々とやり続けることができます。絶対悲観主義者にとってはGRIT無用、レジリエンス不要です。
そもそも仕事とは何でしょうか。仕事は趣味とは異なります。趣味でないものが仕事、仕事でないものが趣味、というのが僕の整理です。趣味は徹頭徹尾、自分のためにやることです。自分が楽しければそれでいい。一方の仕事は誰かのためにすることです。自分以外の他者に何らかの価値を提供できなければ仕事とはいえません。
したがって、あらゆる仕事には「お客」が存在します。お客はコントロールできません。イーロン・マスクさんでもお客にテスラのクルマを無理やり買わせることはできません。
ここで言う「お客」は実際に対価を支払ってくれる取引先や消費者だけではありません。同じ会社の上司や部下であっても、自分の仕事を必要としてくれる人はお客です。仕事は定義からしてこちらの思い通りにならないものです。事後的な成果や成功は、コントロールできない。しかし事前の構えは自分で自由に選択できます。仕事が何らかの哲学を必要とするゆえんです。
仕事は絶対に自分の思い通りにはならないと僕は割り切っています。「世の中は甘くない」「物事は自分に都合のいいようにはならない」、もっと言えば「うまくいくことなんてひとつもない」という前提で仕事に臨む──これが絶対悲観主義です。
何も「自分に厳しい」ということではありません。僕は他人にはわりと甘いほうですが、自分にはもっと甘いタイプです。絶対に成功しなければならないという呪縛から自分を解放する。厳しい成果基準を自らに課さない。自分に対して甘い人ほど、絶対悲観主義は有効にして有用です。

悲観から楽観が生まれる

絶対悲観主義にはいくつもの利点があります。第一に、実行がきわめてシンプルで簡単だということ。やるべきことは、事前の期待のツマミを思い切り悲観方向に回しておくだけです。結果や成果ではなく事前の構えですから、自分の好きなように好きなだけ操作できます。
ここぞというときはツマミを可動領域いっぱいまで思い切り悲観に振っておく。万が一うまくいったら、ものすごくうれしい。だいたいは失敗するのですが、端からうまくいかないと思っているので、心安らかに敗北を受け止めることができます。
第二の利点は、悲観から楽観が生まれるという逆説にあります。絶対悲観主義はリスク耐性が高い。リスクに対してオープンに構えることができます。
起業家志向の若者にアドバイスを求められることがあります。自分で起業したいのだけれど、やはりリスクが気になる。どうしたものか──この手の質問を受けたとき、僕は「何の心配もありません。絶対にうまくいかないから」と言うことにしています。必ずといっていいほどイヤな顔をされますが、現実はそういうものです。
能力に自信がある人ほどプライドが高い。そういう人は失敗したときに大いにへこみます。プライドは仕事の邪魔でしかありません。傷つくのが嫌で怖いから身動きがとれなくなる。動くときにも何とか失敗を避けようとするので、ヘンに緻密な計画を立てたりする。もちろん計画通りにいくわけはないので、ますます疲弊するという悪循環に陥ります。
プライドを持つのはなるべく後回しにしたほうがイイ。ある程度の成果を出して実績を積んでからでも、遅くはありません。
第三に、リスク耐性だけでなく、失敗が現実になったときの耐性も強くなります。ちょっとやそっとではダメージを受けません。絶対悲観主義者にとって失敗は常に想定内です。挫折とも無縁です。うまくいかなくても、淡々と続けていくことができます。これこそGRIT(やり抜く力)です。
第四に、絶対悲観主義の最も重要な利点として、すぐにではなくても、10年ほどやっているうちに、自分に固有の能力なり才能の在処がはっきりとしてきます。
絶対悲観主義の構えで仕事をしていても、事前の期待がよい方向に裏切られ、ときどきうまくいくことがあります。このときにやたらとうれしくなるのが絶対悲観主義のイイところなのですが、そうした望外の喜びがたまに連続して起こることがあります。そこに自分に固有の才能が見え隠れしています。
絶対悲観主義者は「○○が上手ですね」「××が得意ですね」と人に言われても真に受けません。謙虚なのではありません。自分の能力を軽々しく信用していないからです。それでも、そういう評価を複数の人から繰り返しもらい続けると、悲観の壁を突き破って、ようやく楽観が入ってくる。これは思い込みではなく、本物の楽観です。
自分に都合よく考えない。「何とかなる」では何ともならない。だからこそ、精進を重ねようという気持ちにもなります。それでも、成功を期待しない。だから、気楽に取り組める。失敗しても、いちいちダメージを受けない。自然と次に動き出せる。紆余曲折を続けたあげく、振り返ってみたときに、自分なりの確かな道ができている。それが絶対悲観主義者の生きる道です。

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