根本裕幸(カウンセラー、講師、作家)
1972年、静岡県生まれ。2000年よりカウンセリングを始める。以来、2万本以上のセッションと、年間100本以上のセミナーを行なう。夫婦や男女、職場の人間関係の悩みの解決を得意とする。『「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本』(学研プラス)など著書多数。
イヤなことがあっても我慢せず、負の感情は素直に開放してあげましょう。
たとえば、みなさんは誰かの発言でイラッとしたとき、その感情をどう処理されているでしょうか? はたまた、ふと不安な気持ちになったとき、ちゃんとその気持ちと向き合えているでしょうか?
私たち日本人は子どものころから「我慢」が得意のようで、欲しいものがあってもつい我慢してしまったり、イヤなことがあっても何とか穏便に済まそうとしてしまったりすることが多いようです。
そして、まじめで賢い人ほど、じょうずな理由を考えて我慢することを正当化しようとしてしまうようです。
「仕事なんだからイヤなことでもやるべきだ」「夫が稼いでくれているのだから、少々のことは我慢しなければ」「みんながんばっているのだから、私もしなければ」 なんて風に考えたこと、ありませんか
心理学的に見ると、そうした我慢は「抑圧」といわれ、抑圧された感情は心の中にヘドロのようにたまっていき、やがて人間関係の問題から肉体的な問題(病気)を作り出すとされています。
何十年も経ってからあふれ出す思い
たとえば、あるクライアントさんは教育熱心な家庭に生まれ、子どものころから塾に習い事に忙いそがしく過ごしてきました。遊びたくてもそんな時間はありません。
そのおかげで医師という職業に就くことができたのですが、30代に入ってしばらくしたころ、ふと彼の頭の中にある疑問がよぎりました。「自分はほんとうに医者を やりたいのだろうか?」
思えば、親の敷いたレールの上を歩き続け、見事に成功したのですが、彼は自分の人生を自分で選んだことがなかったのです。
彼がそのとき自分を見つめ直そうとしたところ、子どものころからずっと我慢して親の期待に応え続けてきたことを思い出します。アニメが好きだったけど一切見せてもらえなかったこと、近所の友だちと遊んでいたら家に呼び戻されて勉強させられたこと、友だちがゲームの話題で盛り上がっているときにその話に入れなくて、悔しくさびしい思いをしたこと。
するとすっかり忘れていたできごとが次次と思い出され、ほんとうに怒りが止まらなくなりました。いわば30数年間ためこんできた怒りが爆発したようなものです。そして、「こんな仕事、したくてしてるんじゃない!」と思うようになったのです。
また、ある女性は中学生のときに病気で大好きだったお母さんを亡くしました。とてもつらかったのですが、幼い弟もいるし、お父さんも弱っていたので「私がしっかりしなければ」と思い、気丈に振る舞っていたのですね。だから彼女は「お葬式のときもあまり泣けなかった」と言います。
月日は過ぎ去り、彼女が恋人と結婚の話を進めているときでした。結婚式場を下見に行って案内されているとき、「私には花束を渡すお母さんがいないんだ」とふと思ったのです。すると、みるみる涙があふれてきて止まらなくなり、気がつけば嗚咽を漏らして泣きじゃくっていました。
十数年彼女が心の中にためこんできたお母さんを失った悲しみが、このタイミングであふれ出してしまったようです。