第63回PHP賞受賞作

代田いずみ
東京都大田区・主婦・47歳

「いつになったら楽になれるの?」
息子が2歳を迎えたころ、私の我慢は限界を超えていた。頼れる身内はおらず、夫は育児にノータッチ。私は出産後、やむを得ず家庭に入った。赤ちゃんはかわいい、だからきっと、どんなに疲れていても育児に耐えられる。出産前に抱いていたそんな期待は、退院後のたった数時間で壊れてしまった。
授乳、オムツ替え、寝かしつけに追われる日々。一晩中泣きわめく息子を腕がちぎれるほど抱き続け、一睡もせず夜が明ける。息子が寝た時間は、掃除や洗濯、食事の支度に追われる。私は食事はおろかお手洗いにも行けない。それでも初めの1カ月は、かわいい息子に笑いかけようと、必死で作り笑いをした。でもいつしか、作り笑いもできなくなった。
ほんの一時間でいいから一人で休みたいと夫に助けを求めるも、「こんなにかわいい赤ちゃんと24時間いられるなんてうらやましい」と笑顔でかわされる。夫は「家にいても手伝えることはないから」と、土日は夕方まで外出する。許せなかったが、専業主婦である罪悪感から文句を言うことができない。
周囲の友人や先輩ママたちは口々に、「罪悪感なんか持つことない。堂々と協力を求めるべきだよ」と背中を押してくれたものの、私一人が我慢すればと、不満をすべて自分の中に押し込めることしかできなかった。
しかしながら、我慢にも限界がある。出産して3カ月が経つころ、私の怒りへの対象は、しだいに夫から息子へと移ってしまった。
お昼寝から目覚めた息子がヒイヒイ泣けば、私は舌打ちをしてベビーベッドへ行き、オムツを替え、授乳をする。ようやく寝た息子をベッドに置けば、息子はパチッと目を開け「置くな!」と言わんばかりに泣きながら手をのばす。私はしかめっ面で息子をあやした。

後悔ばかりの日々

息子は二歳になった。よちよち歩きを始めたこともあり、これまで以上に目が離せなくなった。当時はとても口に出して言えなかったが、私は育児にうんざりしていた。
できればやめたい。なぜ自分を犠牲にして、毎日子どものために同じことをくり返しているのだろう?私だって行きたい場所があるのに、行けるのは息子が行きたがるようなテーマパークばかり。見たいテレビがあるのに、息子と幼児番組を見なきゃいけない。何もできない、どこへも行けない。育児を始めたことを、ただ後悔する日々だった。
その日も、私は息子と手をつないで夕方の散歩へ出かけた。外に用事がなくても、せまいアパートで2歳の息子と2人きりでいるのがつらかったのだ。義務的に息子と2人で家の近くを歩くも、心はいつも通り沈んでいた。
「私1人ならこんな距離、5分あれば歩けるのに......もう40分も経ってるし。私は人生をどれだけ無駄にしているのだろう?」。不満いっぱいの心の叫びとは裏腹に、息子には笑顔を見せ、道端の花や通りすがる犬を指さしては、優しいお母さんのように話しかけた。

もう自分を犠牲にしない

「あらかわいいわねえ。ボクちゃんかしら?」
振り返るとそこには、白髪のご婦人。よちよち歩きの息子を、眼を細めて眺めながら、優しく声をかけてくれた。
「おりこうねえ。いくつ?」
「2歳です」
「そう。一番かわいいときね」
私は「そうですね」と答えられない。一番かわいいとき、という表現に違和感を覚えたせいだろうか。首をかしげて私はつぶやいた。
「ええ......まあ......」
私の返事に、ご婦人は何か感じたのだろうか。しばらく黙って、私たちの横に並んで歩いた。一つ目の角まで来るとご婦人は、
「それじゃ、私はここで。お母さん、今はいろいろ大変だと思うけど、こういう時期は本当にすぐに終わっちゃうから。こんなにいい子だからね、どうか大事にしてあげて、ね」
と懇願するようなまなざしを向け、反対方向へ歩いて行った。このときなぜか私は素直になり、笑顔で「はい」と大きくうなずいた。
私だって本当は、息子を大事に育てたい。そのために、まず私が私自身を大事にすることが必要だと、この日を境に気づいた。残念ながら、その後も夫の協力は得られなかった。でも、他人を変えることはできない。私は育児の合間の時間を、自分のために使い始めた。好きな番組を録画し、息子のお昼寝の合間に楽しむ。私が行きたい場所にも、息子を連れて堂々と行く。気づけば、息子への作り笑いは、本当の笑いになっていった。
そんな息子も、今年の春から中学生。私よりも歩くのが早くなり、身長も私を追い越してしまった。息子に見下ろされながら、あの日歩いていた道を並んで歩くと、今もあのご婦人のことを、思い出さずにはいられない。

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