和田秀樹(精神科医、作家)

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローなどを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。高齢者専門の精神科医として、35年近くにわたり高齢者医療の現場にたずさわっている。『80歳の壁』(幻冬舎新書)など著書多数。

思うようにいかないことがあっても、次の一歩を踏み出すためにできる二つのポイントがあります。

気分が落ち込んだり、不安にかられたり、マイナス感情に陥ってしまったりすることは、だれにでもあるでしょう。まじめな人ほど「こんなことではダメだ。プラス思考でいかなければ」と思うかもしれません。しかし、マイナス感情を持つこと自体は悪いことではありません。なぜなら、マイナス感情は成長の原動力になるからです。

過去に対する見方を変える

マイナスの感情を成長の原動力とするためのポイントは2つ。1つめは、「過去は変えられない」と理解することです。起こってしまった事実は消せません。しかし、過去に対する見方を変えることはできます。たとえば、過去の失敗を「糧」として「あの失敗のおかげで、いまの自分がある」というように。
私が医者になって4年目くらいのときに、担当していた患者さんが自死してしまったことがあります。毎年8千人くらい、医師に診断されたうつ病患者が自死するのに対して、精神科医は1万2千人ほど。精神科医はだいたい3年に2回の割合で患者さんの自死を経験する計算になるので、精神科医である以上、避けがたいことです。
しかし、私は非常に落ち込みました。医者をやめようかと思い悩んだのですが、先輩医師たちの助言もあり、医者を続けることにしました。
それから30年以上経ちますが、現在に至るまで、患者さんに自ら命を絶たれたことは幸いにもありません。 命を救えなかった患者さんのためにと精進し続けたからこそ、いまの自分があると思うのです。
2つめのポイントは、「変えられないことはあきらめる。変えられることは行動する」ということです。過去のことは変えられないからあきらめる。でも、未来を変えることはできるので、そのための行動を起こしてみるということです。
たとえば、仕事で不本意な異動をすることになって落ち込んでも、異動の事実は変えられません。でもそこで、新しい業務に興味を持って、資格を取ったり勉強したりなどすれば、仕事が楽しくなるかもしれませんし、あるいは、より自分に合った転職先が見つかるかもしれません。
人間の脳は、同時に2つ以上のことを考えるのが非常にむずかしい。ですから、未来について考えていると、過去のことをあまり考えられないので、いつまでも引きずらずにすむのです。

決めつけや思い込みを手放す

ただ、いったんマイナス感情を持ってしまうと、なかなか未来のことを考えられない人が多いのも事実。それは、不適応思考にとらわれてしまうからです。
不適応思考とは「感情的な判断を正しい判断だと思っている」ということです。基本的に、人間は感情的になるとほかの可能性を考えられなくなり、思考パターンが偏りがちなのです。
認知療法の専門家であるフリーマンらによると、不適応思考には12のパターンがありますが、気分が落ち込んでうつっぽくなっている状態のときに起こりやすいのが「占い」パターンです。これは、将来の出来事に対して、確たる証拠もないのに否定的な予想をし、それがあたかも事実であるかのようにとらえてしまう考え方です。
たとえば、仕事でミスをしたときに「自分はクビになるにちがいない」、恋人と別れたら「もう一生幸せになれない」と決めつけてしまう。実際には、クビになるかどうかわからないし、すぐに素敵な人に出会えるかもしれません。それなのに、「こうなる」と思い込んでいるので、ほかの可能性が考えられなくなり、マイナス感情から脱出できなくなってしまうのです。よいことであれ悪いことであれ、予想どおりの結果であれば、人生これほどラクなことはありません。しかしその代わり、何の驚きもときめきもない人生を送ることにならないでしょうか。
現実問題として、人間は自分ひとりで生きているのではなく、世の中の、いろいろな人との関わりの中で生きています。当然、自分の思いどおりにいかないこともあります。思いどおりにいかないことのほうが多いといってもいいでしょう。
ですから、「~に決まっている」「~にちがいない」という決めつけや思い込みを手放して、生きていくこと=予想どおりにいかないことを楽しむ。そういう考え方ができるようになると、一時的にマイナスの感情を持ったとしても、それはやがて収まり、また前を向けるようになるはずです。

生きることは「実験」である

私は最近、「生きることは実験だと思ったほうがいい」と主張しています。
たとえば、新しいラーメン屋を見つけたとき、「まずかったらイヤだから、やっぱりいつもの店に行こう」と考えるのもいいですが、これも実験だと考えて、「まずいかもしれないけど、おいしいかもしれない」と、とりあえず入ってみる。その結果、おいしくなければ今後その店に行かなければいいし、おいしかったらお気に入りの店が一つ増えたことになります。
「出会いがない」と嘆くより、習い事やイベントなどで一緒になった人と「仲良くなれるかも」と思ったら、まずは話しかけてみる。これも実験です。声をかけてみたら想像以上に気が合うかもしれないし、逆に苦手なタイプかもしれない。前者ならラッキーですし、後者でも、そのことがわかってよかったと思いましょう。
このように「生きることは実験だ」と理解できれば、思いどおりにいかなかったり失敗したりすることがあっても、また「いいこともあるかもしれない」と新たな一歩を踏み出すことができるのです。
私たちは行動を起こす前から、過去の経験から「正解」を勝手に判断してしまいがちです。そうではなくて、何事も実験だと思って、まずは行動してみる。すると、想像とは違う世界が見えてきて、好奇心や意欲が湧いてきます。新しい発見があるかもしれません。
年齢を重ねるほど、どうしても思い込みが強くなりがちです。だからこそ、毎日に実験が必要なのです。80歳を過ぎても90歳を超えても元気で若々しい人は、毎日を実験だと思って楽しんでいます。
1日に1つ実験をすれば、1年間に365回の実験ができることになり、それだけ違う経験ができることになります。必然的に、思い込みや決めつけを手放せて、マイナスの感情からも抜け出しやすくなります。
実験といってもたいそうなことではありません。「毎日違うものを食べる」「新しい習い事を始めてみる」など、なんでもいいのです。
想定外のことやわくわくドキドキすること、新しいことに出会うと、前頭葉が活性化するので、認知症対策にもなります。ぜひ、1日1実験を試してみてください。

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