第63回PHP賞受賞作

七倉由佳
東京都大田区・会社員・34歳

「ねえ、パパ、ちょっと手伝ってあげてよ」
母が父にそっと耳打ちした。
当時、小学校低学年だった私は、家族旅行で海外に来ていた。透明な海に、真っ青な空。日本語ではない、さまざまな言語が聞こえてくる街並み。
生まれて初めての海外で、見るもの出会うものすべてに、私の胸はずっと高鳴っていた。日が暮れると、夕食のためにレストランへ寄った。当然、メニューも英語、ウェイターがしゃべる言葉も英語。当時の私にはぜんぜん理解できなかったが、すべて父が通訳してくれた記憶がある。私たち家族が、注文を終えたそのときだった。母が小さい声で、父にささやいたのだ。
「ねえ、パパ、ちょっと手伝ってあげてよ」
そう告げた母の視線を追うと、そこには同じ日本人であろう家族連れがいた。日本人旅行客の多い国だ。めずらしいことではない。しかし、何かがちがうと思った。
ウェイターに注文しているのは、中学生くらいの男の子。まだ幼さの残る子どもだった。身振り手振りで何とか注文を伝えようとしているが、うまく伝わらない。言葉が通じない相手を前に、今にも泣きだしそうな顔で困り果てていた。
彼の家族に視線を向けると、目に入ってきたのは手話だった。彼以外の家族が全員、手話を使って会話をしていたのである。おそらくみんな、耳が不自由なのであろう。中学生と思われる彼一人だけが耳が聞こえて、会話をすることができるようだった。
私は、日本語の通じない海外のレストランで、どれだけ不安だろうかと考えながら、彼の顔をぼんやりと見ていた。母は、そんな彼らにすぐに気がついたのだ。
母の一言で、同じように彼らに気づいた父はすぐに立ち上がった。その横で私は、「いいよ、大丈夫だよ。ほうっておきなよ、恥ずかしいよ」と父親を止めたのだ。幼い私には、「人助け」はなぜか気恥ずかしいものだったのだ。そんな私に対して、父はきっぱりとこう告げた。
「恥ずかしいことなんてあるもんか。そういう考えのほうが恥ずかしいんだ」
父はすぐに、彼らのもとへと駆けよった。そして代わりに注文を告げると、席へ戻ってきた。

人助けは当たり前のこと

しばらくたってから、家族がお礼を言いにきた。何度も何度もありがとうと頭を下げながら。さらに、ウェイターまでもが父のところにやってきて、仲介してくれてありがとうと告げたのだった。
いつもはランニングシャツに短パンというだらしない姿で母に怒られている父が、なんだかとてもかっこよく見えた。それと同時に、なぜ私は恥ずかしいと思ってしまったのか、後悔で胸がいっぱいになった。
私が恥ずかしいと思っていた人助けは、父や母にとっては「当たり前」のことだったのだ。この出来事は私の「人助け」への考え方を一変させた。困っている人を助けるのは当たり前のことで、何も構える必要はないこと。「助けたい」と思うなら、だれにでもできるということ。
自らお手本となってくれた父は、私の自慢の父親だ。助けが必要なことにいち早く気づいた母親も同じように。

父の背中、母のぬくもり

私は現在、当時の両親と同じ年齢になった。あのときの両親と同じように、周りが助けを必要とする状況にいち早く気づけているだろうか。ためらうことなく、手を差しのべることができているだろうか。
きっと、まだまだだと思う。やはりいざとなれば躊躇してしまったり、周りの目を気にしてしまったりするときがある。
そんなときこそ、父と母を思い出すようにしたい。なんの迷いもなく、彼らのもとに駆けつけた父の背中を。困っている人にすぐに気づいてあげられる母の温かさを。
どんなに年を重ねても、私にとって、人生のお手本は両親なのだ。こんなことを両親に直接伝えるなんて、それこそ恥ずかしくてできないけれど。だから、こうやって文章に残しておく。
パパ、あのときの背中、すごくかっこよかったよ。ママ、あのときの気遣かい、とてもすてきだった。
あいかわらず、だらしないよと母に怒られっぱなしの父を横目に、私はこの文章を終わらせようと思う。いつもお手本になってくれてありがとう。