昔の雑誌には、内容それ自体のおもしろさもあれば、今の時代から見たときに生じるおもしろさもありますね。古い小説を読んでも その時代のことがわかるんだけど、雑誌のほうがより色濃く表れると思います。
たとえば「人生50年」という言葉が出てくるんですが、「あ、このころは 平均寿命が50代なんだ、僕もう死んでるんだ〜」って(笑)。それが今は人生100年時代と言われてるわけだから。倍ですよね。
編集後記のところに「新旧仮名遣いを併用」とあって、それも興味深かったです。新仮名が一般化する過渡期だからだと思うんだけど。そういう時代感覚がわかってくるというおもしろさが一つにはありますよね。
「本気さ」が胸を打つ
やはり戦後すぐということで、 新生日本への夢みたいなものがすごく感じられました。「繁栄によって平和と幸福を」という言葉の、「本気の感じ」に胸を打たれます。未来に向けてのその本気さみたいなものって、今の時代には持ちえないものだと思うから。
その前提として、1947年当時は衣食住が圧倒的に厳しいということがありますよね。だから夢しかない、だけど夢だけはある、という状態。電車は全部満員で乗れなくて、食べ物はもちろんなくて、ということが雑誌にも書かれています。そんな状況で、でも「とにかく戦争は終わったぞ」という人々の気持ちがあった。
経済について書かれた文章も、すごく哲学的な感じがして、どれもいい文章になっていて。経済の意味がやっぱり今とはちょっと違ったんでしょうね。うちの父がそういう世代ですが、戦争では負けたけど経済でよみがえるという感覚。
繁栄が目的になった時代を超えて
この創刊号のころから見れば今の僕たちは未来人ということになるけれども、自分たちの精神性が進化したという感じは全然ないわけで。現代における繁栄というのは、当時設定されたものを通り越していますよね。そもそも繁栄は目的ではなくて手段でしょう、 「繁栄によって」だから。でも、繁栄によって平和と幸福がじゃあ今得られているのかというと、そうですと胸を張っては言えない。
高度経済成長期で、繁栄自体が目的になっちゃいましたよね。僕は世代的によく覚えているのですが、3C(カラーテレビ、クーラー、 自家用車)の時代、それからバブル期。物質的な繁栄の時代に、ある種の必然性があってそうなったんだと思いますけど、この創刊号の時代はまだ物質的に貧しすぎて、まず心から行くしかない。
一方で、今は今でいろいろ制約や限界があると思います。どんな時代に生まれてもそれはあって、世代ごとに違ってはいても、 個人の適性とは別に課題が存在するということは共通しています。 衣食住は豊かになったけど、この時代の平和や幸福ってなんなんだろう。僕たちはどう生きていくんだろう――そんなことを考えちゃいますね。
※本稿は、月刊誌「PHP」2022年5月号掲載記事を転載したものです。