心を強く持つために必要な考え方とは? 『まいにち、修造!』が大ヒット中の松岡さんが熱く語ってくれました。
本気になれば道はひらける
一つの目標に向かって必死に進んでいる人。何かに躓いて落ち込んでいる人。そういう人たちに向かって、僕は応援メッセージを送り続けています。
時に波に揺れる船の上に立ち上がって「大丈夫だ!君ならできる!」と叫んだり、テレビの画面に向かって「自分を信じろ!」と鼓舞したりする。そんな僕の姿を見て、「面白い人だな。いつも元気で熱い人だな」と感じることでしょう。それが僕の狙いでもあるのです。
僕はさまざまな言葉でメッセージを発していますが、それらを冷静に語ってしまえば、単なる説教になる恐れがあります。特に若い人たちは説教が大嫌い。そうした説教くささを取り除きながら元気づけるためには、面白さから入るほうが入りやすい。僕のオーバーアクションは、心からの応援メッセージを伝えるための手段だと考えているのです。
もともと僕は冷静なタイプです。感情や思いつきで動くことはしません。常に自分や周りの状況を客観的に判断しながら歩を進めていく。そしてそれは、テニスプレーヤーとして身に付けてきたものです。テニスというのは確率のスポーツです。試合の中では、常にプレーの確率を冷静に判断しなければならない。たとえば、この瞬間にネットに詰めるか否か。今ネットに詰めれば、60%の確率で成功するだろう。そう判断した瞬間にネットに向かって走り出します。
ところが60%成功すると判断しても、相手の球に抜かれることもある。そんなときに、「しまった!やっぱりネットに詰めるべきじゃなかった」と悔やむことはしません。なぜならば、失敗する確率もまた40%あるからです。たまたま40%のほうに結果が傾いただけで、それは失敗でも何でもない。すぐさま気持ちを切り替えて、再び次のゲームの確率をはじき出していく。そうした一瞬一瞬の判断の積み重ねでゲームを組み立てているわけです。
ゲームに勝ちたいと思うなら、成功の確率を上げていくしかない。だから、勝ちたければその確率を上げていけばいい。そしてその確率を上げるためには、必死になって練習を繰り返すしかないのです。テニスのみならず、人生というのもこれと同じではないでしょうか。
世間には厳然とした確率が存在します。たとえば就職。僕が20代の頃はバブルの真っ最中でしたので、友人たちはさしたる努力をしなくても、ほぼ100%の確率で就職することができました。
ところが今では、大学卒業者の60%程度しか就職できない年もある時代になっています。ましてや有名企業であれば、数%の学生しか入社することができない。たしかに理不尽なことですが、それを嘆いていても仕方がありません。その確率を自分自身の努力で高めていくしかないのです。この会社に入りたい。本気でそう望むのならば、必死になってその努力をするしかない。行きたい会社のことを調べ尽くし、求められる能力を身に付けていく。「受かればいいな」などと中途半端な考えでなく、何としても入るんだという強い意志をもつことだと思います。ここがダメならあっち。あっちがダメならこっち。そんな思いではなく、まさに一球入魂の気持ちでやることです。
本気で努力をすれば、必ず成功の確率は上がっていきます。思いを強く持てば、必ず道はひらけてくる。ただし、その確率が100%になることなどあり得ません。それもまた人生なのです。自分自身の限界まで、本気でやってほしいと思う。と、このようなメッセ ージを文字にすれば、やっぱり説教くさくなるでしょ。だから僕は、面白さを入り口としたような表現方法で伝えようとしているのです。
努力をせずに諦めてはいけない
錦織圭というすばらしい才能をもったテニスプレーヤーがいます。僕はジュニアの頃から、そのず抜けた才能を目の当たりにしてきました。彼の技術的な才能には、僕とて足元にも及びません。そんな圭にあこがれ、ジュニアの選手たちはみんな圭のようになりたいと思っています。圭のプレーを真似て、同じようにやろうとする。そんな彼らに僕は言います。「君たちが圭になるのは無理だ。圭のプレーを真似るのではなく、君たちにしかできないテニスを見つけるんだ!」と。
誰しも得手不得手をもっています。その人にしかない才能をもっている。ジュニア時代の僕は、才能があると言われたことがなかった。一度も言われたことがないのですから、きっとほんとうに技術的な才能は備わっていなかったのでしょう。それでも試合になると勝ち進みました。技術的な才能のない僕がどうして勝つことができたのか。
それはおそらく、「人の気持ちを読む力」「同じ練習をひたすらに続けることができる力」、そういう才能が備わっていたからだと思います。その自分自身に備わっているものに気づいたからこそ、世界という舞台で戦うことができたのです。
僕は指導する選手たちに、「自分の説明書」を書くように言います。得手不得手や性格をも含めて、自分自身というものを客観的に書きだしてみる。いいところはどこか。悪い部分はどこなのか。頭で考えるのではなく、実際に紙に書き出してみる。そうすることで、自分というものがよく見えてきます。プラス面をしっかりと見据えることで、それをいかに伸ばせばいいかが分かってくる。マイナス面を客観視することで、具体的な克服方法が見えてくる。これはテニスだけのことではありません。生きていく上でさまざまなことに応用できることだと考えています。
「自分の説明書」を書けと言うと、どうしてかマイナス面ばかりを書きだす人がいます。おそらく人間というのは、自分の欠点のほうばかりを見る癖があるのかもしれない。それも冷静に欠点を捉えるのではなく、感情的に落ち込んでしまったりします。 「私はダメな人間なんです」と言う人がいます。何がダメだと思うのと聞くと、「何事もすぐに諦めてしまうんです」と答える。どうしてすぐに諦めてしまうのと突っ込むと、答えに詰まってしまう。
要するに、それほどの努力をせずに諦めているだけなのです。「ああ、自分はダメな人間なんだ」。実は、そんなふうに悲観的に考えるほうが気分的には楽なのです。努力することを放棄して、自分はダメだと言ってしまうほうが簡単だからです。
それはただ逃げているだけのこと。努力するのがしんどいから、ダメな自分を認めて楽になりたいだけなのです。
そういう人に対して「頑張れ!」と応援しても、なかなか伝わるものではありません。「頑張れ!」という応援を受け止めて活かすためには、受け手の前向きな心持ちこそが大事です。
家族や友人など、世の中にはあなたを応援してくれる人がたくさんいます。その応援に応えなければいけないと思う。何も結果を出さなくてはいけないということではありません。ただ目の前のやるべきことを一所懸命やること。それが応援に応えるということなのです。
人は互いに応援しあっている
2011年に東北を襲った大震災。震災から1カ月後に、取材で被災地に行かせていただき、想像以上の被害に、言葉がありませんでした。東京に戻ってから、自分は何をすればいいのか、何ができるのか、ずっと考えていました。実際に被災した人間でなければ、その苦しみは理解できません。東京で普通の生活をしている自分に、いったい何ができるのだろうかと。
そして、今度は仕事ではなく、自身の想いで被災地を訪問させていただきました。避難所に行くと、誰もが「よく来てくれたね」と僕を囲んでくれました。どんな言葉を掛ければいいのかわからず、ただただ皆さんの話を聞くことしかできなかったのですが、そのとき、一人のおばあさんが笑顔で近づいてきました。そして僕に向かってこう言ってくれたのです。「元気な人が、元気に頑張らなくてはいけないよ」と。この言葉で、僕は救われた気持ちになりました。
応援とは、決して一方通行じゃない。強い者が弱い者にすることでもない。人は互いに応援しあって生きている。だからこそ私は、いつも誰かを応援しながら生きていたいと思うのです。
取材・文:網中裕之
※本稿は、月刊誌「PHP」2012年7月号掲載記事を転載したものです。