町田そのこ(作家)

1980年生まれ。福岡県在住。2016年、「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。翌年、同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』(新潮文庫)でデビュー。'21年、『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)で本屋大賞を受賞。

人と会うのが苦手という町田そのこさん。そんな自分を認められるようになった理由とは――。

私は精神的に弱い人間だと自認している。いちいちのことにプレッシャーを感じて、腹を下したり胃痛に襲われたりするのだ。
ひとつ例を挙げてみれば、人と会うのが苦手だ。たいてい、ひどく疲弊してしまう。会う前から、相手が期待している、または想像している私はどういう人間だろう? と考えてしまうのだ。そして、がっかりさせてしまうのではないか、というような不安を抱き、緊張する。会ったのちには、相手の一挙手一投足に意識をやってしまう。どこかに失敗ボタンがあって、私の言動しだいで大きなブザーが鳴り響く――なんてことはもちろんないのだが、そういう気がしてならない。終始、綱渡り気分だ。
そして、別れたあとは一人反省会が開催される。あのとき喋りすぎてしまった( 焦るあまり饒舌になることが多い)とか、あれは相手の望む返答じゃなかったはずだ、とか。しかもそれが仕事でのこととなれば、その緊張も反省もとどまるところを知らない。奈落の底に落ちるがごとく、鬱々としてしまう。人と会うというのは、とかく難儀なものだ。
自意識過剰すぎ、と思われるだろう。それしきのことでと言われても仕方ない。しかしどう頑張っても、私にとって心身ともに覚悟が必要な大仕事なのだ。その大仕事をこなしたうえ、そこで何某かのタスクまでこなせたとなれば、偉業を成し遂げたと言ってもいい。

乗り越えた自分を労ろう

誰もが、たくさんの「期待」や「責任」を抱えて生きている。私より遥かに重たいものを抱えた人、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも耐え忍んでいる人はたくさんいるだろう。みんな、腹にぐっと力をこめて、足を踏ん張って生きている。そして、それぞれがそれぞれの責務を、全力で乗り越えている。
私も一人の大人である以上、背負ったからにはそれをあるべきところにきちんと納めるか、背負い続けるべきだと分かっている。求められていることをこなすのは、当然のことだ。なのに「難儀」だの「覚悟」だの言うなんて、ましてや「人と会う」というだけのことを「頑張っている」と主張するだなんて、みっともない。偉業だなんてあまりに大げさすぎる。
しかし、頑張ったことを褒め称えてもらいたい、労ってもらいたいという自分が確かにいて、それを無視できない。いや、してはいけないのだ。
頑張った「私」を私自身が愚かだと切り捨てていた時期がある。人並みのことが苦痛だなんて、どうしてこんなに情けないのだとあきれたものだ。しかしそれは、自分を貶める行為に他ならなかった。だからだろう、自分を貶め続けている私のもとには、私を大事にしてくれない人ばかりがいたように思う。
誰かにとって些末なことでも、私の中で必死の努力の結果であったなら、自分だけは否定はしてはいけないのだと、たくさんの失敗の中で気付いた。

いいことだけを噛み締めて

だから、いまの私は、「私だけは私を甘やかす」と決めている。些細なことであっても、やり遂げた自分を全力で褒めて甘やかす。具体的には、毎日21時以降は自分のための時間にしている。作家でも母親でもない、個の私になって、大好きなビールを飲んで好きなことをする。日中どれだけ己れの不甲斐なさを悔やむことがあったとしても、明日の自分に押し付けた仕事が山積みだとしても、全力で忘れる。いいことだけは、牛の反芻のように何度も噛み締める。
最初はうまくできなかったが、いまではスイッチを切り換えるようにぱちんと意識の切り替えができる。そして、私を認める私のそばには、私のありのままを受け入れてくれる人たちがいる。
自分の機嫌は自分で取る、という言葉を先日耳にした。とてもいい言葉だと思う。自分を一番に労われるのは、誰でもない自分自身だ。自分の機嫌を取りそして自分の頑張りを認めて称えるのは、当然の権利なのだ。誰に恥じることなく、全力で自分を褒める時間を作ろう。毎日を健やかに生きていくためにも、私はこれからも自分で自分を甘やかしていく。