第61回PHP賞受賞作
宮澤由季
埼玉県さいたま市・自営業・34歳
「"金のなる木"っていうから置いたのに、うちにはお金がないんですよ」
母はよく店先で、客にこんな話をしていた。
私の実家は畳屋で、家の一階が店になっている。その入り口にいくつも置かれていたのが、カネノナルキの鉢だった。葉の形がコインに似ていることが名前の由来らしい。金運が上がるなんて謂れはないが、それでも縁起物として飾る商売人は少なくなかった。
母とカネノナルキが出合ったのは、駅前の花屋でのことだ。素通りしかけた私の袖を掴み、「これよ、これ!」と母は目を輝かせた。
店の経営が傾きはじめた頃だったから、景気づけになれば、と思ったのかもしれない。母はへそくりでそれを買うと、「招き猫なんかより、金のなる木のほうがよっぽど儲かりそうでしょ」と言い、大きな口でガハハと笑った。
それ以来、母は毎年大晦日の夕方、新しいカネノナルキを買ってくるようになった。
重い鉢を両手で抱え、ふくよかな体を揺らして「よいお年を!」と街を練り歩く。野太く大きな声が、勇ましい。ついには、そんな母の姿こそ、むしろ縁起物だと手を合わせるご近所さんまで現れた。
父は興味なさそうにしていたが、年末の大掃除では必ず、新しいカネノナルキの置き場所をせっせと作った。反抗期真只中の私は、そんなものを買うくらいなら、寿司やケーキでも買って、もう少し豪勢な正月を過ごさせてほしい、と内心不満に思っていた。
前の年より大きいものを
それから何年か後の大晦日、雪のなかでも母は例によってカネノナルキを買いに行き、私はこたつで年賀状を書いていた。
店の電話が何度かしつこく鳴って、しばらくすると父が部屋に入ってきた。
「駅前のあの花屋から電話で、お母さんがギックリ腰になったって」
そう言うと、父はなぜか笑い出した。
「お父さん、笑い事じゃないよ。年末なんだから、どこも病院やってないでしょ」
「そうだけど、想像したらおかしくって」
父は、そのまま笑いながら言う。
「お前は気づいてないかもしれんが、お母さんは毎年、前の年より大きいカネノナルキを買うんだよ。ギックリ腰もそのせいかな」
それを聞いて、私は思わず手を止めた。言われてみれば、年々鉢が大きくなっている気がする。急に気になってきて、私はこたつから飛び出し、一階へと駆け下りた。
大掃除を終えたばかりの店は、少しの埃臭さを残してガランとしていた。冷気が頬を撫でる。玄関先のカネノナルキたちを見ると、確かに、背の順でビシッと列をなしていた。
一番背の低い鉢植えを見て、初めてカネノナルキを見たときの母の笑顔を思い出した。
父の車で花屋へ行くと、母は奥で餅を食べていた。ギックリ腰は大袈裟だったらしい。
「私は後ろで、こっちを助手席に乗せてよ」
そう言って、母は店で一番大きい鉢植えを指差した。やはり、去年の鉢よりひと回り大きい。私と父は顔を見合わせて、また笑った。
「お金がなくても笑えますように」
帰り道、私は母に思い切って訊いてみた。
「カネノナルキを置いたら、本当にお金が増えると思ってるの?」
母からの答えは意外なものだった。
「そんなわけないでしょ。でも、お金がないときに、ただお金がないって言ったら悲しいじゃない。"金のなる木"があるのにお金がないって言ったら、笑えるでしょ」
私は呆気にとられた。だが、同時に、母らしい考えだと思った。
「だから、来年もお金がなくても笑えますようにって、毎年買ってるのよ」
母が私の膝をポンと叩く。それから大きな口でガハハと笑った。きっと母は、どんな困難もこうして笑い飛ばしてきたのだろう。
父が運転席から口をはさむ。
「それで縁起物ってことで、熊手みたいに毎年、前より大きいのを買うんだね」
すると母は口をとがらせた。
「あれは花屋さんが面白がって、いつも前の年より大きいのを出してくるのよ。値段は変わらないのよ? 私がそれを運ぶ姿を見ないと、年が越せないんですって」
「熊手じゃなくて、年越し蕎麦だったか」
父がそう返して、すぐ自分で吹き出した。
つられて私も笑う。車が揺れるたび、助手席のカネノナルキまで笑っているように見えた。
"金のなる木"がいくつあっても、我が家にはお金がなかった。でも、笑いならあった。
きっと、明るい母のおかげだったのだ。
30年続いた店をついに閉めるとき、母がカネノナルキの葉を優しく撫でながら「ありがとうね」と声をかけていたのを覚えている。
底抜けの明るさのなかに、確かなやさしさがある。そんな母は、私のあこがれだ。