第61回PHP賞受賞作
岩城正姫
東京都中央区・学生・21歳
一年前の冬のことだ。
私は家の近くの銭湯にたまに行くのだが、利用者とは会話をしたことがなかった。その日も熱いお湯につかり、眠くなったところで荷物を持って浴場を出た。
すると、ロッカーの鍵がない。手持ちの荷物にも見あたらない。きっとどこかに忘れてきたのだろうと、軽い気持ちで浴場に戻ったが、見つからなかった。立ち尽くしていると、一人のご婦人が「どうしたの?」と声をかけてくれた。私は、鍵を失くした旨を説明した。
「じゃあ、一緒に探そうか」
ご婦人と、そばにいた数名で、鍵を探すことになったが、見つからなかった。
「番頭さんに言うしかないんじゃないの?」
別の女性が提案した。このとき、私の頭には、ある不安がよぎっていた。
「ひょっとして、排水溝に落ちてしまったのではないでしょうか」
気づけば、そう口走っていた。実は、私が使っていたシャワーの席は、排水溝にいちばん近いところだった。お風呂につかったときに、その席に荷物を置きっぱなしにしていた。なにかの拍子に落としてしまったというのは、じゅうぶんに考えられた。
「たしかにそうかもしれないね」
と周囲の方もうなずかれたので、私の不安はさらに高まった。弁償費用どうしよう。鍵って失くしたらいくらかかるんだ? さまざまな不安が、頭のなかを駆けめぐった。
とにかくまずは番頭さんに相談を、ということになり、ありがたいことに最初のご婦人が、番頭さんのところへ行ってくださった。
そのあいだ、私はしゃがみこんで、排水溝を見ていた。排水溝の蓋を開けると、大きな重しがあり、それを持ち上げてみた。ぬめっていたのですぐに戻すと、ゴトンと音がした。
このとき、排水溝にはないだろうと思った。重しを戻した際、金属が当たる音がしなかったからだ。そうしているうちに、番頭さんのところに行っていたご婦人が戻ってきた。
「番頭さんが、ドライバーでロッカー開けてくれるって! ほら、湯冷めしちゃうからこれ羽織って、なかで待ってなさい」
ご婦人は、自分のバスタオルを貸してくださった。私はタオルを身にまとって、脱衣所から浴場へ向かった。ご婦人の優しさを噛み締めながら、浴場のなかで、番頭さんがロッカーを開けてくださるのを待った。
ご婦人の気遣いに涙して
しばらくしてロッカーが開いたので、バスタオルに身をつつんだまま、浴場を出た。
「みなさま、本当にありがとうございます」
そう言いながら頭を下げたものの、私の不安が消えることはなかった。
すると、浴場から勢いよく一人の女性が出てきた。
「あったよ! 桶と桶の間に落ちてた!」
抑えていたものが一気にあふれ、久しぶりに声をあげて泣いてしまった。いろいろな人に迷惑をかけてしまったと同時に、たくさんの方々の優しさに、感極まってしまったのだ。
常連さん同士で、声をかけあっているコミュニティーが、そこにはあった。私は、みなさんと話したことはなかったが、そんな方たちが、新参者の自分を気遣かってくれたのだ。
「ありがとうございます!」
泣きながらお礼を言うといろいろな方々が、
「突然泣いちゃってどうしたの?」
「早く着替えないと風邪ひいちゃうわよ!」
と心配してくださった。そのままロッカーに戻り、タオルを貸してくださったご婦人にお礼を言った。
「本当にありがとうございました。バスタオル、洗濯しなくて大丈夫ですか......?」
すると、ご婦人は笑顔でこう言った。
「いいのよ別に! それに、女同士でしょ」
この言葉に、私はまたジーンときてしまった。それから軽く世間話をし、ご婦人は「おやすみなさい」と出ていった。
身も心もあたたまって
そのあとも、いろいろな方々が話しかけてくださり、ある女性からは「帰るとき、番頭さんに声をかけるのよ」と言われた。鍵を失くしたせいで、ロッカーを壊すことになってしまったからだ。再び費用への不安を募らせながら、私は番頭さんのもとへ向かった。
「あの、先程〇〇番のロッカーを使っていた者なんですけど、修理費って......」
「いらないですよ。またドライバーで付ければいいだけなので」
その言葉に、私はホッと安堵した。
今でもその銭湯を使っているが、私にとって銭湯は、二重の意味であたたまる場所になった。「お風呂は、身体だけでなく命の洗濯」とは、よく言ったものである。
心安らぐ場所だからこそ、とっさの協力が生まれるのかもしれない。