第61回PHP賞受賞作

玉置順一
兵庫県神戸市・弁当惣菜業・82歳

「高校進学という大切なことなので、なんとか時間を割いて、家の人に学校へ来てもらえないですか」
担任の先生が、僕に言った。 僕は、言葉に詰まった。小・中学校の9年間、両親は八百 屋商売が忙いそがしく、一度たりとも学校行事に顔を出すことはなかった。
僕は家に帰ると、勇気を出して、父に高校へ進学したいと伝えた。
「あほぬかせ。商売人の息子に学歴なんかいるもんか。ソロバンさえできたら世間に通用するんや」
進学に反対する父の言葉に打ちひしがれた僕は、先生に思い切って打ち明けた。
「では、私があなたのお父さんに直接会って説得してみましょう」
心が軽くなり、小躍りしながら家のある市場へ帰った。先生が家に来て進学について話 してくれることを父に伝えると、仕方なさそうに父は言った。
「話聞くだけやで」

「先生には、わかりっこない」

先生には、両親が休みの日に家に来てもらうことにした。
いつもならば、休日になると、母は映画を観に行った。仕事人間だった父は、休みの日にもかかわらず、倉庫にこもってずっと野菜の手入れをしていた。
けれど、今回の休日だけは違ちがった。大好物のすき焼きと、マグロの刺身をほおばりながら晩酌を楽しみ、早めに夕食をすませて、かしこまった姿で先生を迎えた。
先生から話し始めた。
「玉置君から、すでに話はうかがっています。玉置君本人の意志が無視されていると、 私は思いました。せめて、高校だけでも行かせてあげられないでしょうか。本人も進学することを強く望んでいるのですから。学業は大切です」
先生の説得に、父は反撃した。
「じゃ、先生、学歴だけでメシが食っていけるとお思いですか。自慢じゃないですが、私は中学生のときに両親を亡くして以来、でっち奉公に出て、毎日必死に働いてきました。
5人の子どもや女房を路頭に迷わせまいとする苦労、まだお若い先生には、わかりっこ ないと思いますよ。
正直言って、あなたに説教される筋合いはないですわ」
酔いが回ってきたのか、厳しい口調で言った。そばにいる母は、ただおろおろしている。
しかし、先生は、ひるまずに対抗した。
「玉置君は今、高校進学という、人生で一番大事時期の、ど真ん中にいます。もう一度、じっくり考え直してあげてください。お金では買えない青春の入り口に、立たせてあげてください」
背すじを伸ばし、目をそらすことなく語る先生の姿を見て、僕はたくましいと思った。
結局、父はその場で答えを出さずに、おひらきとなった。

もう一度、先生が家にやってきた

その年の年末大売り出しの最中に、家族全員がおたふく風邪にかかってしまった。 一年で最も稼ぎ時であったにもかかわらず仕事ができなくなった父は、大量に仕入れた野菜をなんとかお金にするために、無人販売をはじめた。 このユニークな案は評判となって、新聞記者の耳にも入り、取材を受けることになった。父が、新聞記者の人から取材を受けている最中に、突然担任の先生が家に駆けつけてきた。
「私でお役に立てたら、取材のあいだだけでもお手伝いします」
そして父に代わって、先生は、市場の大将たちや女将さんとともに、野菜の売り出しや品出しを手伝ってくれた。先生の申し出に、父は言葉が出ず、ばつが悪そうにしていた。
手伝いを終えて、先生が帰ったあと、父は言った。
「やっぱりどこか見所のある先生だと、わしは思っていた。ええ根性してるわ」
一回目に先生が家に来たとき、父は先生のことをけなしていた。しかし今日、家に駆けつけ、自分たちの仕事を手伝ってくれた先生の姿を見て、父は先生のことを見直したとほめちぎった。
父は、先生のことを信頼しきった様子だったので、僕は高校へ進学してもいいのだと悟った。
晴れて高校に進学し、僕は迷わず文芸部に入った。中学生のとき、国語の担当だった担 任の先生の授業が、楽しくて仕方なかったからだ。
先生のおかげで、僕の進路が切り拓かれ、82歳になった今でも、文章を書く楽しさを実感している。選択肢を広げてくれた先生には、感謝している。