第六十回PHP賞受賞作
平井瞳
兵庫県神戸市・主婦・三十四歳
中学一年生の夏休み、私は突如、重いアトピー性皮膚炎になった。手首と足首から先以外の全身が、真っ赤な発疹に覆われた。掻き壊された皮膚からは血がにじみ、浸出液の独特の臭いが常に私につきまとった。
痒みで勉強に集中できず、それまで学年トップだった成績は一瞬で地に堕ちた。
同級生から「かわいい」ともてはやされた顔も、赤くむくんだ。大きすぎる見た目の変化により、思春期の私の自尊心は容易に崩壊してしまった。
一般的な治療ではよくならず、父の友人が漢方薬治療をしている病院を紹介してくれた。
病院までは、片道一時間。電車に乗っている三十分間は、周りの人に顔を見られるのが嫌で、母の横でずっと下を向いていた。
診察室に入ると、初老の医師が、「どうしましたか」と訊いてきた。母が私の症状について説明していると、医師は母を手で制した。
「君に訊いている。君の言葉で言いなさい」
顔を上げると、医師は、目も身体もまっすぐ私へ向けていた。痒みと無力感しかなかった身体に緊張が走る。初めて大人から、子どもとしてではなく、ひとりの人間として扱われた気がした。
「痒いし、汚いし......。辛いです」
と言葉を絞り出すと、彼は、
「時間はかかる。二年を目標にしよう。私は君の調子を見ながら治療法を考えたい。そのためには、お母さんではなくて、君自身が通院しないといけない」
と言って、私の脈や舌の色などを診察し、漢方薬の処方箋を渡してくれた。
食事の時間がくるのが憂うつ
調剤薬局は、病院の向かいにあるビルの一階にあった。自動ドアが開くと、むせかえるような漢方薬のにおいがした。
気さくで穏やかな、母親世代の薬剤師が、薬について説明してくれる。煎じて飲むのが一番効果的だと言われたが、苦くてとてもできない。吐きそうになりながら、一日三回、食前にぬるま湯で薬をそのまま流し込んだ。食事の時間がくるのが憂うつだった。
通院し始めて一年が経つ頃には、漢方薬の味にも慣れ、煎じて飲めるようになった。
薬剤師から、「まずい?」と訊かれ、「前のよりマシです」と苦笑すると、「今回のほうが合っているのかもね。また再来週ね」と送り出してくれた。前向きなのに、余計な応援をしない対応が心地よかった。
医師は普段、無駄話をしない人だったが、一度だけ、「学校で嫌な思いはしていないか」と訊かれたことがある。
「嫌なことをしてくる人はいません。授業を欠席したり、部活を休んだりしても、待っていてくれる友達の優しさに応えられないのが辛いです」
と答えると、医師は真剣な顔で言った。
「これまでの君の人徳と、周りの子たちの育ちのよさだね。私は、君の親御さんやご友人の親御さんを、尊敬するよ」
病気のおかげで出会えた
中学三年生の夏休みには、発疹がほとんどなくなった。初診時の目標通りの結果となり、「先生のおかげです」とお礼を言うと、医師からは、「君のがんばりがすべてだ」とだけ返ってきた。言葉では表現しきれない、ズンとくる感動で、私は何も言えなかった。
「今後は継続的に経過確認」と書かれた処方箋を薬局で渡すと、いつも調剤室の一番奥でひたすら作業をしていた男性が、初めて受け渡しカウンターに出てきた。所長だと名乗ったその人は、声を震わせながら言った。
「よく我慢した......。我慢の勝利ですね」
驚いた。直接関わることはなくても、私の苦しみを慮ってくれる人がいたことに。
周りを見ると、いつもの薬剤師たちも目を潤ませながらうなずいていた。胸がいっぱいで、涙があふれそうになる。鼻の奥がツンとした。
私が「また来ます!」と言うと、所長は「来ないほうがいいんだよ、ここは!」と答え、みんなで笑った。
帰りの電車では、温かい気持ちに包まれ、「大人ってすごいなぁ」とぼんやりしていた。
病気は本当に辛かったが、それをきっかけに素敵な大人たちと出会えたことで、辛い経験は「価値あるもの」となった。
その後、私は無事に大人になり、臨床心理士の資格を取った。今は、たくさんの子どもたちやその親御さんと関わっている。
たとえ相手が子どもでも「その人の持つ力を信じて待つ」という大前提を忘れない、あの頃に出会った大人たちの姿勢は、いつまでも私の憧れだ。同じ大人になって、それがいかに難しいことかも、あらためて知った。
彼らに負けない、私なりの素敵な大人を目指して、日々精進だ。