小林エリコ(こばやしえりこ)
文筆家、漫画家。1977年、茨城県生まれ。短大卒業後、漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職。現在は通院を続けながら、フリーペーパー「エリコ新聞」を不定期刊行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『家族、捨ててもいいですか?』(大和書房)などがある。
死にたいほどの辛さや苦しみも、笑ってみたら軽くなるかもしれません。
私の人生は人より少し苦労が多い人生であったが、辛い時にはいつも「笑い」に救われていた。
私が育った家庭では、酒を飲んだ父が夜ごと暴れては、母を殴るので、幼い私はいつも不安だった。その頃、私の心の支えだったのは『あさりちゃん』という女の子向けのギャグマンガだった。お小遣いで買った単行本を手垢がつくまで読み返してゲラゲラ笑うと、日頃の不安がフッと解けるのだ。
小学校と中学校ではいじめに遭っていて、辛い日々が続き、いつしか私は笑うことを忘れ、死ぬことばかり考えるようになった。初めて自殺を試みたのは、最初の仕事で失敗した二十歳の時だった。精神薬を三百錠近く飲み、病院に搬送された。一命を取り留めたものの、そのまま精神病院に入院することになった。
東京の端っこの方にあるその病院は、緑が多く、周囲に家がほとんどなかった。社会から隔離されたこの病院にはいろんな苦労を抱えた人たちがいた。幻聴が聞こえる人、妄想を抱いている人、摂食障害の人。病気が良くなったのに、家族が引き取りたがらなくて、家に帰れない人もいた。
ここに入院している人たちはなんらかの理由で社会からはじき出されていた。そして、この病院で初めて、たくさんの精神疾患の人に出会った。普段なら恥ずかしくて隠しておきたいことを、ここの仲間の前ではあけすけに話すことができた。
「多量服薬する時って、疲れない? 百錠くらい飲んだあたりで『めんどくさい!』って思っちゃう」
そう言うと、入院している仲間が「わかるわ~」と、大きな声を出して笑った。
辛い経験や苦しい体験を笑いに変えるのは生きる知恵だ。笑い飛ばすことによって、私は最悪の経験を「大したことではない」と思うことができた。
死にたくなったら、どうすればいい?
精神病院を退院した後は、東京のアパートを引き払って実家で母親と暮らし始めた。その頃に『べてるの家の「非」援助論』という本に出会った。
べてるの家とは北海道の浦河町にある社会福祉法人で、精神障害者とともに生きる街づくりを実践している。そこで行なわれている「当事者研究」という取り組みがあり、私はその集まりによく参加していた。
司会であり、べてるの家のソーシャルワーカーの向谷地生良さんが「この間、面白いことがあってね」と口を開き、正面のプロジェクターに映像を映し出した。それは、べてるの家のメンバーが移動中の車の中で「死にたい」と言いながら、自分の頭を殴り出した映像だった。彼女は自分で自分を叩く時、あまりにも強く叩くので血が滲むほどだという。
「よし、こんな時は、当事者研究だ。死にたくなった時に、どうすればいいか研究してみよう」
向谷地さんが明るく提案すると、同乗者たちは女性の手にタオルを巻こうとした。しかし、うまくいかない。その時ふと、誰かが「笑わせたら止まるかな」と言った。
「よし、じゃあくすぐってみよう」
その言葉を合図にして、女性の隣となりにいる人がこちょこちょと脇腹をくすぐると、女性は大声で笑い出して自分の頭を殴るのをやめた。
「死にたい気持ちはどうなった?」
運転席の向谷地生良さんが女性に尋ねると、
「笑ったら、なくなっちゃいました」
と、笑顔で答えた。
意外に思われるかも知れないが、頭で思うよりも、体に訴えかけるというのは、かなりの効果を発揮するといわれている。なんでもない時でも口角を上げると脳が楽しい気分を生み出すそうだ。脳内回路と表情筋は密接に関係しており、人間は自分の表情に影響されて認知判断も変化する。だから、脇腹をくすぐられて死にたい気持ちがなくなるというのも理にかなっているといえよう。
笑うことで生き延びる
笑いの効能は素晴らしい。脳に「楽しい」という情報を送って、辛い経験を無効化することができるし、苦しい体験を笑い飛ばすことによって「あんなことは大したことじゃない」とその場の仲間たちと確かめ合うことができる。
ユーモアの語源とは「にもかかわらず笑うこと」だそうだ。どんなに苦しくても、大きな困難が道を塞いでいても、私たちは笑うことで生き延びることができる。笑うことは生きるための大きな力だと言えよう。