川村妙慶(かわむらみょうけい)
僧侶。1964年、福岡県生まれ。21歳で真宗大谷派の僧侶になる。現在、全国各地で精力的に講演を行ない、仏教思想や親鸞聖人の教えを広めるかたわら、生活の中の身近なテーマで法話を行なう。KBS 京都にて「川村妙慶の心が笑顔になるラジオ」を放送中。
川村妙慶さんが、暗い青春時代から抜け出すことができたきっかけとは?
ある日突然、不安に襲われることはありませんか? 独身者は「この先、一人で生きていけるのか?」、家族をお持ちの方は「子どもは無事に成長してくれるのか?」、病気を宣告された方は「あと何年生きられるのか?」、介護をされる方は「これがいつまで続くのか?」......。 実は、悩みは「思考」によって作られるのです。人間は、悪い方向に想像をめぐらせる癖があります。それが畏れへと変わり、さらには悩みを作り出すのです。仏教では五怖畏といいます。 1)不活畏。食べていけなくなるのではという畏れ。 2)悪名畏 。周囲から悪く思われないかという畏れ。 3)大衆威徳畏。「世間は私のことをどう見ているのか?」という畏れ。 4)命終畏 。死への畏れ。 5)悪趣畏。自分の居場所を失い、地獄のような生活になるのではないかという畏れ。
「地獄は悪いところではない」
私の青春時代は暗いものでした。お寺の娘として生まれたものの、両親は離婚。その後、父は亡くなり、兄は引きこもりになりました。 お寺を守ってくれるご門徒も、すべて他のお寺に移っていかれました。親戚に頼っても「あの両親のDNAを受け継いでいるお前もダメ人間だ」と罵倒されます。 誰も救いの手を差し出してくれる人はいませんでした。 母親の勧めで、大谷専修学院(東本願寺経営)に入学し、僧籍を取得することにしたのですが、ある日、師に「私の人生、最悪です。なぜ仏様は私の味方になってくれないのですか?」と嘆きました。すると師は、「自分の人生を最悪だと決め付けている川村君の性格が最悪ですな」とおっしゃったのです。私は奈落の底に突き落とされたような衝撃を受けました。 ここでも私を守ってくれる人はいないのか? そう落ち込んでいる私に、続けて師はこうおっしゃいました。 「自分の人生を楽しみなさい。親鸞聖人は『地獄は一定すみかぞかし』( 歎異抄)とおっしゃった。つまり、地獄こそが私たちの最高の居場所だ、と。 川村君は『最悪=地獄』と思っているだろう。だが地獄は悪いところではない。もうこれ以上墜ちるところがない地獄の底にこそ、仏様が支えてくれ、極楽の門が開かれているのだよ。その底でどうか、力を抜いて今の状況を楽しみなさい。 そうすると、地獄であろうと極楽であろうと気にならなくなるぞ。それが気楽ということだ」 「気」とは、人間の精神を表します。「どうする気だ」「元気を出せ」「気が散って勉強できない」のように、心の働きで気は大きく変わってきます。マイナス思考になれば気持ちが沈み、プラス思考になれば「やる気がもてて元気になる」のです。 すると、「私の人生は悪い」と思えば落ち込むのは当たり前のことなんですね。
どんな出来事にも、何かある
その後、人生経験もないまま僧侶になれるはずはないと感じ、もともと憧れていたアナウンサーの道を目指しました。しかし、番組オーディションを受けても不採用続きです。 やっとリポーターの仕事をいただき、現場に出ると、カメラマンから「君は、エンジョイしてないね。だって目が笑っていないもの。それでは視聴者は楽しめないよ」と言われました。その通り、私が楽しんでもいないのに、相手の心に伝わるはずがなかったのです。 エンジョイは、喜び(ジョイ)を入れる(エン)という意味です。また『広辞苑』を引くと、「楽とは愛すること」と書かれています。 このとき、「自分の人生を楽しみなさい」と師から言われた言葉につながりました。どんな出来事も、「このことには、何かある」と自分の人生を愛でることで、地獄と思ったことが極楽に転換していくのです。 引きこもりだった兄は、なんと部屋で小説を書いていました。題は「その後の兎と亀」。負けてこそ、大きな発見があり、その中で安心して生きていける世界があることを書いていたのです。今は新作「その後の浦島太郎」を執筆中です。兄こそ、地獄を堂々気楽に生きていたのですね。 皆さん、どうか今の出来事から何かを発見しましょう。大丈夫 、何とかなるから。