第56回PHP賞受賞作

窪野元(大阪市・調理師・39歳)

小学校の卒業遠足を翌日に控えた夜、私はお気に入りのジーンズをうっかり洗ってしまった。なんとか遠足にはいて行けるよう、風呂場の脱衣所にこもり、ドライヤーを使って一所懸命乾かそうとした。

が、夜更けまで頑張 っても一向に乾く気配がなかったので、とうとう諦めて眠った。その夜は、夢の中でもジーンズを乾かしていた。

朝、目を覚ますと、楽しみにしていた卒業遠足を辞退しなければならないほどの高熱が出ていた。楽しそうに遊ぶ級友を想像しながら一日中寝ていたが、症状は良くなるどころか時間が経つにつれて悪くなっていった。

夜になると、わずかに感じていた胸の痛みが激しくなり、小さくしか息を吸えなくなった。また、息を吸うと、ストローで飲みものに息を吹き込んだときのような、ポコポコという感覚が肺の中で起こり、とても痛んだ。

病院へいくと、診察するや即入院と言われた。診断結果は肺炎だった。撮ったレントゲン写真の右肺下部に、ピンポン玉くらいの黒い影があり、そこに水が溜まっていた。

入院後3日間は、点滴をされたまま、ただ寝ていることしかできなかった。4日目には溜まった水が少しはひいたのか、息をするのもだいぶ楽になった。
 

不安と恐怖に怯える母子

下は小学1年生、上は中学2年生までの小児病棟の6人部屋も、同じ境遇からくる気安さからか、慣れると居心地がよく、楽しく過ごせた。3週間も経つと、だいぶ具合も良くなった。そろそろ退院かなと思っていると、主治医に呼ばれた。

診察室へいくと、先生は蛍光灯のついたホワイトボードのような板に、私のレントゲン写真をセットして待ち構えていた。

私が椅子に座るや、先生はレントゲンを指さし、「これな、だいぶ水はひいてきたけど、これ以上は薬ではひかへんわ」と私の目を見据え、「手術せなアカンな」と言った。

青天の霹靂にして、万事休す。すっかり動転した私は、さもそれで当たり前というように、そうですかと言葉少なにうなずいた。

診察室を出ると、私はすぐさま公衆電話に走り、母へ電話した。母はすぐに飛んできた。

薬さえ飲んでいれば治ると思っていた私たち母子は、手術に対してなんの覚悟もしていなかった。

その日、私たちは手術への恐怖から手に手をとって泣いた。昨日まで病室の中でも明るいほうだったのに、途端に暗くなった。

そんな私たちを見かねて、隣りのベッドの佐藤くんが、手術のいろはを教えてくれた。

この部屋で一番年長の佐藤くんは、脳に埋めた人工血管の交換のために入院していた。

手術慣れしている彼曰わく、全身麻酔の手術なんてものは、痛くもかゆくもないし、どんなに時間のかかった手術であっても、意識がなくなってから醒めるまでは感覚的にはほんの10分くらいのもので、あっという間らしい。

そう聞いて、ほんの少し気は楽になったが、それでも不安が消えることはなかった。
 

朦朧とした佐藤くんの励まし

数日後、先に手術の日を迎えた佐藤くんは、朝から忙しそうだった。頭部切開にあたり、髪の毛が邪魔ということで、看護師さんに連れられて、頭を刈りにいった。

丸坊主になって戻ってきた佐藤くんの頭の左上には、大きくCの字形に傷跡があった。

唖然と傷跡を見上げる私に、佐藤くんは得意げに、「いつもここから開けんねん」と、人差し指でちょんとCの字をつついた。

諸々の準備を不安な心境で見守る私とは対照的に、佐藤くんはときどき冗談を言ったりして、いたって冷静だった。

いよいよストレッチャーに寝かされて病室を出るとき、佐藤くんは頭を少しだけ上げて、私に向かって「見とけ」と言わんばかりに、ニヤッと笑った。私は読んでもまったく内容の入ってこないマンガを、めくっては置き、めくっては置きした。

数時間後、ストレッチャーに乗せられて戻ってきた佐藤くんは、頭に包帯をグルグル巻きにされ、まだ意識もはっきりしていないらしく、焦点を失った瞳はどちらもあらぬほうを向いていた。

さっきまであんなに元気だったのに、手術を受けるとこんな姿になるのかと、手術に対する恐怖心が、昨日よりも一昨日よりも強くなってきた。

私は隣で寝ている佐藤くんのほうを見ないようにした。意識があるのかないのか、佐藤くんは私のほうにスーッと手を伸ばしてきた。

私は恐る恐るその手を握り返した。何か言おうとしたが、喉がつまって声が出せなかった。

ややあって、佐藤くんはかすかに微笑むと、酸素マスクを白くしながら言った。

「おまえなら、だいじょうぶ」
 

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