第56回PHP賞受賞作
小梁川道子
(宮城県仙台市・自営業・57歳)
父が倒れた、と母から電話があった。気が動転して、どうやって病院に行ったのか覚えていない。
父は脳梗塞だった。担当のK先生から、母と共に説明を受けた。
「お父さんは、すもうがお好きのようですね」。K先生は気さくに話しかけてくださった。
私と母は同時に頷き、顔を見合わせた。
「先生、どうしてご存じなのですか?」
K先生は、にこっと笑って口髭をなでた。
私達の緊張が少しほぐれた。
父は集中治療室で、声も出さず身体も動かさないで寝ている。それなのに、なぜ、父がすもうを好きなことが分かったのだろう。
「運ばれてきたとき、すもうのことを口にされたので」
先生は和やかにおっしゃった。
「前に……出る」と、かすかに言ったそうだ。
「はたき……こみ」とも聞こえたので「もしかして、すもうのことですか?」と尋ねると、両手を動かすそぶりをした。
「ちゃんと……両手を、つく」
しきりの説明を始めたらしい。
「すもうがお好きなのですね」と応じると、目を閉じたままゆっくり頷いてみせたという。
母と一緒に「お父さんらしいね」と笑った。
病院で笑うことができるなんて思いもよらず、自分達が談笑していることに驚いた。少し前までは、救急車で搬送された父が心配で、胸が締めつけられるようだったのだから……。
「あたたかや、同じ話を聴きにゆく」
「父は治るのでしょうか?」
私の問いに、先生は「うーん」と言って、間をおいた。椅子に座り直して姿勢を正した。
「どんな状態のお父さんでも、あなたのお父さんであることにかわりはないのですから、何かおかしなことを言っているなどとは思わずに、これもお父さんの一面なのだと受けとめてあげてくださいね」
「人は色々な面を持っています」
先生は言葉を探しながら、「あたたかや、同じ話を聴きにゆく、という詩歌があります。
お年寄りの同じ話を、あたたかや、と聴く。
今まであなたを大切に育ててくれたお父さんなのですから、これからは、あなたが見守ってあげるといいですね」と続けた。
「あたたかや、ですか……」
先生の思いが伝わってくる。心に染み入る。
「お父さんのすもうの話、皆で聞きましょうね」。
「聴くと聞くを使い分けてもいいですね」。
K先生は、そう言って立ち上がった。
ほどなく病室に移った父から、私達家族も、すもうの話を聞くことができるようになった。
発音は未だはっきりしていない。それでも一生懸命語りかけてくれる。
毎日、「しきり」のくだりを、特に詳しく説明しているのが見てとれた。注意深く聴いた。
「きちんと……手を下につくと、取り組みが、遅くなると、言う人も、いる、けれど」。
かなり間があく。皆で父の口元を見つめる。
「両手……をつくと、ぎゅうっと…… 押し上げる、力、力、力に、なる」
父が「力」のところを繰り返したので、私達聴き手は、思わず前かがみになり、まさに力が入った。
「お父さんは、若い頃、すもうが強かったのよね」
私が話しかけると、父は顔を赤らめて「うん」と答えた。室内に明るい笑顔が広がった。
この瞬間を覚えておこう。
父がこれから、動けなくなっていっても、私達のことを忘れてゆく日がきても……。
できるだけ、何度でも、すもうの話を聴こう。ちゃんと聴いて、書いておこうと決めた。
一人ひとりの人生を尊敬する
でも、平穏な日は続かなかった。父は病気を併発し、身体の強ばりが進んでいった。
何も話さなくなって、身動きもできなくなった。本人の努力も、病院の方々の協力も、人の力が及ばなくなることを予感させた。
しかし、そこに悲愴感はなかった。父のベッドは、いつも柔らかな思いやりの空気に包まれていた。
秋彼岸の朝、父は突然「良かったなぁ」と言った。
大きな声で、はっきりとした口調でそう言って、父は旅立っていった。
別れの際、自分のために尽力して下さった方々に「おかげさまで幸せな人生でした」と感謝の気持ちを伝えたかったのだろう。
現在、私は、介護施設を営む兄のつながりで、福祉の分野にも携さわるようになり、お年寄りや障がいを持つ方々と多くお会いしている。
一人ひとりの人生の歴史を尊敬の思いで見つめ、人の心の内にあるもどかしさのようなものを、いつも慈しむ気持ちでいたい。K先生の提言。特に「あたたかや」という言葉は、私の道しるべだ。より良い人生を歩むための術(すべ)であると、私には思えてならない。