第55回PHP賞受賞作

古垣内求
(大阪府泉大津市・無職・79歳)

熊さんが赴任してきたのは、僕が中学3年生のときだった。問題を起こす生徒が多い僕らのクラスにやってきた。教壇に立った熊さんは大声で話し出した。

「今日から君たちの担任となる“猪又熊吉”だ。姓は猪、名前は熊。熊さんと呼んでくれ。

何人も悪ガキがいるようだが、文句があれば俺に言って来い」

開口一番、ドスのきいた声で話し出した。

学校出たての新米教師と高を括っていたが、どうも勝手が違うようだ。

浅黒い顔、太い首、柔道二段の巨漢。ときどき見せる鋭い目つき。クラスの悪ガキどもを黙らせるには十分だった。
 

黒板に書かれた二つの言葉

クラス全員が、次の言葉を待つ。

「俺はなあ、朝起きると、この言葉を唱えるんだ。俺にとって毎朝が人生の始まりなんだ。

今日、お前たちに出会ったのも、人生の始まりの日だ。記念すべき日だよ」

熊さんは突然、僕の名札をチラと見て、

「君が古やんか。これから『古やん』と呼ぶが、いいか?」

「別にかまいませんが……」

クラスの大将で手がつけられないと、引き継ぎされていたのだろう。

「古やん、俺は嬉しい。人生の初日に君に出会えたんだ。困ったことがあれば俺に言って来い。今日からクラスの大将は俺と交代する」

新米教師と油断していたが手強い。熊さんの顔を睨みつけたが意に介さない。じっと熊さんを見つめていると、怖いがどこか憎めないところがある。

(もしかすると熊さんのファンになるかも)

心のどこかで、僕を変えてくれる人物なのではないかと期待し始めていた。

「ひとつ聞きたいことがある。地主の子どもがおるか、いれば手を挙げろ。いないようだな。

小作人の子は?」

クラスの大半が手を挙げた。

「よし、分かった。もう一つ言っておく」

またもチョークを手に、今度は黒板の左端に書き始めた。

“よそはよそ。うちはうち”と。

「決して他人を羨むな。自分の家が貧しくとも、今ここにいられるのが幸せと思え。病気の人もいるだろう。親のいない子もいるだろう。元気で学校に来られるのを有難いと思え」

黒板の両端に二つの言葉を書き終えた。

卒業式の日まで黒板から消さなかった。

卒業式当日、熊さんが僕の手を握り、「ずいぶん成長した。もう大丈夫 。あとはあの二つを忘れるなよ」と言った。

熊さんに握られた手を放したくなかった。

熊さんの手の温もりを消したくなかった。初めて学校で流す涙を、少しも恥ずかしいと思わなかった。

熊さんは、誰よりも自分に目をかけてくれたのだ。下級生の歌う「蛍の光」を聴きながら涙を拭い続けた。
 

熊さんから届いたマフラー

卒業してからも、年賀状だけは欠かさなかった。熊さんからも届いた。

ある年の年賀状に「入院中」と、あった。

頑丈な熊さんが、実は寒がりで冬はいつもマフラーをしていたのを思い出した。カシミヤのマフラーをお見舞いに買って病院を訪ねた。ドアの外から病室を覗くと、熊さんがいた。

「古やんか!」

50年ぶりで、初老になった古やんにすぐ気付き、こちらを見つめている。目が潤んでいるのに気付いた。

「先生から教えていただいた二つのことを、今も守っています」

「何だっけ?」

忘れてしまったのか、それともとぼけているのか。

「そうか。そんなことを言ったのか。覚えていてくれて嬉しいなあ」

今度は、本当に涙を流し始めた。

充実した時間を過ごし、帰宅した。

2カ月ほど経ったころ、奥様から小包が届いた。手紙とマフラーが入っていた。

「主人が外泊するとき、必ずマフラーを巻いて帰りました。きっと天国で喜んでいると思います」

手紙を読み終え、熊さんの温もりを確かめようと、マフラーに顔を擦りつけた。熊さんの匂いが残っていないか、何度も何度も大きく息を吸い込んだ。

「何してるんや」

熊さんの大きな声が、どこからか聞こえてきた気がした。