お寺の住職である浅田さんは、落ち込んだとき、どうしているのでしょうか?

浅田宗一郎(住職・児童文学作家)

1964年、大阪市生まれ。龍谷大学卒業。2005年『さるすべりランナーズ』で児童文芸新人賞受賞。著書に、本誌での連載をまとめた『涙があふれて止まらないお話』『拭いても拭いても涙がこぼれるお話』(すべてPHP研究所)がある。
 

私は、寺の住職として、毎日、お参りをしています。
お葬式や法事・月忌参りは、「ご先祖(故人)」を縁としています。
私は、このような環境のなかで、日々、「死」から現在の自分の姿をみつめてきました。

この世界は諸行無常です。生きとしいけるすべてのものは移ろい変わり滅していきます。
しかも、人間は、何歳まで生きることができるのか、いつこの世界を去るのかがまったく定まっていません(私たちは、本当に、ある日、突然、命尽きるかもしれません)。
つまり、私たちにとって、「死」は、つねに、目の前にあるのです。

このように、「死」から現在の自分の姿をみつめると、「生(今、生きていること)」は、当たり前ではなく、「奇跡」だということがわかります。
 

生きていることが奇跡

人間は、夢や願いをもっています。
私たちは、毎日、目的を達成するために努力しています。しかし、夢や願いを叶え続けることはできません。私たちは、必ず、挫折します。それどころか、挫折を繰り返して人生に絶望することもあります。

私は、「恵まれた人生」を送ってきたわけではありません。
私は母親一人に育てられました。生活は厳しいものでした。子どものころは身のまわりに必要最低限の物しかありませんでした。
また、私は一から土地と建物を購入して寺の活動拠点をつくりました。活動を始めたとき、檀家さんはほんのわずかでした。将来のことを考えると不安でたまりませんでした。

実際、その後、私は、何度も挫折しました。
人生に絶望したこともありました。
そのようなとき、私は、必ず、目をとじて、胸に手をあてました(心臓の鼓動は、いつも、私に、「生という奇跡」が続いていることを教えてくれました)。
そして、私は、「自分の存在(今、生きていること)」を強く肯定して、もう一度現実に立ち向かい、苦しみを・悲しみを・絶望を乗り越えてきたのです。

私は、月刊誌『PHP』で昨年の5月号から今年の9月号までの17カ月間、「読みきり小説」を連載させていただきました。
今回の連載で、私が、月刊誌『PHP』に発表させていただいた作品は50を超えました。それらすべては、「主人公が、苦しみを・悲しみを・絶望を乗り越えていく物語」です。
私の物語の主人公は、夢や願いを叶えることができません。ただし、主人公たちは、勝てなくても、絶対に負けません。倒れても立ち上がります。立つことができなければ、這ってでも前へ進みます。そして、かけがえのない命を輝かがやかせていくのです。
 

胸に手を当て、鼓動をきこう

この世界の生きとしいけるすべてのものは移ろい変わり滅していきます。
人間は生きればいきるほど悩なやみ苦しみます。
しかし、私たちは、どんなときも(大きな挫折をしたときも)、絶対に、くじけてはいけません。

皆さまは、「奇跡の人」です。
あなた自身が、この世界の光なのです。
皆さま、どうか、つらくて苦しいときは、目をとじて、胸に手をあててください(心臓の鼓動は、必ず、あなたに、「生という奇跡」が続いていることを教えてくれます)。

そして、「自分の存在(今、生きていること)」を、強く、つよく、肯定して、もう一度現実に立ち向かい、苦しみも・悲しみも・絶望も乗り越えて、いっしょに、はかなくもかけがえのない命を、力の限り、光り輝かせていきましょう。