第55回PHP賞受賞作
三谷温子(大阪府和泉市・公務員・25歳)
私と羽田さんは、漫才師ではない。だけど私たちは、お互いを相方と呼ぶし、漫才の台本を書く。誰に披露するわけでもなく、2人でそれを演じて笑い合う。
他の人に、私たちの漫才を見せることは決してない。なぜならこの漫才、普通の漫才とは違った、特別なものだからである。
相方の羽田さんとは、大学の演劇サークルで知り合った。モアイ像みたいな、得体の知れない女性。彼女を一言で表すと、きっとこんな感じだろう。
羽田さんは滅多に笑わない人である。なのに、お笑いが大好きだった。真顔で淡々と、一発芸をかましてみせる。
そんな不思議な羽田さんと、私は意外と馬が合った。2人とも食べることが好きだったので、稽古帰りによく天神橋筋商店街でコロッケをほおばった。そして、そのままカラオケになだれ込む。そんな日々を送っていた。
大学2回生の秋、羽田さんの父親が亡くなった。演劇の舞台を1週間後に控えた日のことだった。羽田さんは、「ウエディングドレス姿の花嫁の亡霊」を演じることになっていた。
だが当然、舞台になど出られるはずもない。
彼女の代役を、急遽私が務めることになった。
純白のドレスに腕を通しながら思った。普段、滅多に感情を顔に出すことがない彼女。
今頃、どんな顔で父親の葬式に参列しているのだろう。それを考えると、なぜか私のほうが泣けてきた。
白いドレスが、胸に迫る。彼女が戻ってきたら、何と声をかければいいのだろうか。
羽田さんの初めての台本
なんの連絡もなく、ある日彼女は、ひょいと部室に現れた。意表を突つ かれた私は、「あ」とか「え」とか、言葉にならない声が出た。
「舞台、大変やったやろ?」
まるで他人事のように話す。普段なら、誰のせいやと突っ込むところだが、今日はうまく話せない。
「心配せんといて、大成功やったで」
私なりに気を遣つかった答えだった。だけど羽田さんはどこか上の空。やっぱり落ち込んでいるのだろうか。仕方ない。父親が亡くなったのだ。大切な人を失ったことがない私には想像もつかないほど苦しんでいるのだろう。
沈黙が耐えられない。どう慰めたらいいのか考えていたとき、彼女が突然、切り出した。
「ねえ、漫才せえへん? これ、書いてきたから読んでみてや」
ぽかんとする私。彼女は黒いリュックの中から、5枚綴つづりのA4用紙を取り出した。
「タイトル:お葬式」
嫌な予感がした。読み進めるうちに、その予感は現実のものとなる。なんとその話、ウエディングドレス姿の花嫁が、父親の葬式に参列するというコントなのである。どんな顔をしていいのか、私には分からなかった。
「面白いやろ、これ。笑っていいんやで」
笑っていい。そんなことを言われても笑えるわけがない。親の葬式をネタにするなんて、不謹慎だとさえ思った。あかんやろ、これ。
思わずそう言いかけたときだ。先に口を開いたのは羽田さんのほうだった。
「あっちゃんも、辛いことがあったら、台本書いてきていいからな。あたし、一緒に読んで笑ってあげるから」
笑ってもらうと、救われる
はっとした。彼女がなぜこの台本を書いたのか、今どんな気持ちでいて、私がどうするべきなのか。
目頭が熱くなるのを必死にこらえ、私は台本をめくった。
「面白いな、本当に。めっちゃ笑えるわ」
羽田さんは満足そうに、でもどこか寂しそうに笑っていた。彼女は辛さを笑いに変えることで、父親の死を乗り越えようとしている。
私は、大げさに声をたてて笑ってみせた。
机の下で、必死に拳を握りしめながら。
それからというもの、私たちは辛いこと、悲しいことがあると、お互いに漫才の台本を見せ合うようになった。
つい先日も、私が仕事でミスをし、えらくへこんでしまったことがあった。何日経っても、気付けばその失敗のことを思い出してしまい、気持ちが晴れない。
もやもやを吹き飛ばすために、私は筆をとった。自分の失敗を、面白おかしく漫才の形に書き殴る。そして週末、羽田さんをランチに呼び出し、例の漫才をお互い読み合い、お腹を抱えて笑い合う。
笑いとは不思議だ。誰かに笑ってもらうと、どんなに辛いことでも、救われるような気持ちになるのだ。羽田さんと出会わなければ、私は悲しみや辛さを昇華する方法が分からず、苦しんでいたかもしれない。
彼女との出会いのおかげで私は今、辛いときでも笑っていられるのだ。