今、毎日が楽しくて仕方ないと言う小手鞠さんにも、泣いてばかりの日々がありました。
小手鞠るい(作家)
1956年、岡山県生まれ。22歳のとき、故・やなせたかし氏が編集長の雑誌『詩とメルヘン』に投稿。渡米後、海燕新人文学賞を受賞。著書に『アップルソング』(ポプラ社)、『炎の来歴』(新潮社)など。
毎日が楽しくなる小さな習慣
ふと気がついたら「私、このごろ、ほとんど泣いてないなぁ」と思う。毎日、にこにこ笑ってばかりいる。
毎日、とっても機嫌がいい。
雨降りの日には「この雨音、ショパンの『雨だれ』みたいに素敵!」と思うし、どんより曇っていれば「さあ、きょうは読書日和だ」と思いながら、大好きな作家の新刊を抱えてソファーにごろん。晴れている日には庭に出て、樹木、植物、小鳥たち、小さな生き物たちの姿を目にしては「いいな、いいな、みんな生きてるんだな」と思って、うれしくなる。
雨の日も雪の日も晴れの日も、趣味のランニングを欠かさない。森の小道(私はニューヨーク州ウッドストックの森の中で暮らしています)を走っている途中に、鹿や熊やりすやたぬきや野うさぎに会うと、にっこり笑って「ハーイ!」と一応、英語でご挨拶。
たとえ仕事上のなんらかの問題が発生しても「よっしゃ、徳川家康のやり方で解決してみせるぞ」なんて、意気込んでいる(現在、司馬遼太郎さんの作品にハマっています)。
仕事の依頼が来たら、うれしくてうれしくて、たまらない。どんなに忙いそがしくても、どんなに細かい仕事でも、喜んで引き受ける。
忙しいという状態が楽しくてたまらない。
そう、私ってまさに、毎日が楽しい人。
「涙の壺」が涸れたら、笑うしかない
せっかくこのテーマでエッセイのご依頼をいただいたので、私はなぜこんなに機嫌がいいのか、その理由を考えてみることにした。
考えるまでもなく、わかってしまった。
今のこの幸福。
それは、私が若かった頃、あまりにもたくさん、涙を流してきたことに由来している。
私は今、62歳なのだが、つい十数年前までは、めそめそ泣いてばかりだった。
10代から20代にかけては、青春の悩み、恋の悩みが主な原因。人を好きになっては泣き、失恋しては泣き、好きな人といっしょにいても泣き、離れていても泣いていた。
30代から40代にかけては、仕事がうまくいかないことに対する情けなさ、苛立ち。
くやし涙をどれだけ流したことか。
そして50代の初めに、最愛の猫に先立たれるという、人生始まって以来、最大の喪失の悲しみに遭遇した。このときには朝から晩まで、夢の中でも、体が溶けてしまうのではないかと思えるほどに泣いた。
思うに、人の体内にはそれぞれの「涙の壺」というものがあって、私の涙の壺の中の涙は、50代までですっかり涸れ果ててしまったのではないだろうか。
私の体にはもう、涙は一滴も残っていない。
だとすれば、これはもう、笑うしかないではないか。
ネガティブな経験は、笑いに変わる
いやなことがあっても、予期せぬトラブルが起こっても、大嫌いな人に対しても、私を裏切って、あと足で砂をかけて去っていった人に対しても、今の私はにこにこ笑顔を向けることができる。
「くやしい!」とか「ひどい!」とか、思うことは、もちろんある。けれども、くやしがっている自分を眺めている、もうひとりの自分が「あなたもその年になって大変ねぇ」と、笑ってくれているのを感じる。
笑いというのはいいものだ。
無条件で人を幸せな気分にしてくれる。
ちょっと調子が悪い日だって、朝、鏡に向かって「にかーっ」と笑うだけで、気分はずいぶん明るくなる。
笑いは人生の強い味方になってくれる。
笑い飛ばせ。
笑うが勝ちだ。
笑いの威力を痛感しているきょうこのごろである。
ただし、こうなるためには、若い頃に、泣けるだけ泣いておくことが必要だ。苦労、辛酸、挫折、失恋、失望、絶望、別離 ……とにかくネガティブなことをできるだけたくさん、経験しておくことだ。
それらの経験はすべて、あとになって「笑い」に変換される。あなたに、生きる元気と勇気と知恵を与あたえてくれる力の素になる。
嘘のような、これは本当の話だ。
私がその生き証人である。
月刊「PHP」2018年9月号より転載