月刊「PHP」2018年7月号 裏表紙の言葉
産まれたわが子を初めて見る若き母親の安堵の涙、親を喪ったおりに流れる惜別の涙、あるいは美しい映像や音楽に昂ぶって流す涙。
さまざまな涙があるけれど、うれし涙だけが望ましいというものではない。悔し涙を流した体験が人を発奮、成長させ、うれし涙を味わうことに繋がっていく場合もあるからである。これからどんな由縁で泣くにせよ、都度何がしかの彩りを人生に与えてくれるのが涙であるのは間違いない。
今、涙活という言葉を耳にする。それは意識的に感情を昂ぶらせ、涙を流すことでストレスを解消しようという意味の現代用語である。現代人は周囲との摩擦を避けるために感情を抑え、本音を容易に話せない。だから、言わば理屈や規則に縛られた社会へ反発するように、無理して泣いて鬱憤を晴らそうとするのであろう。
強制的に自分を泣かすまではしなくとも、人は時に心ゆくまで涙を流してよい。単に自分を解放するためだけでなく、人としてもっと自然に生きるため、そしてより豊かな人間性を養うためにも。