生きる 第54回PHP賞受賞作

私は、夜盲が症状の一つでもある、目の病気がある。光の認識ができないわけではないけれど、小さな光は、私の目には届かない。
だから、私の星空はずっと真っ暗だった。
数百年、数千年前に存在した星の光。ロマンチックな響きを持つその光線は、私の人生と交わることなく、悠々と空を流れていく。
その事実に不満を持つわけでもなく、私は人並みに成長して、高校へ入学した。そこで出会った友達に、美里ちゃんという子がいた。

スケバンブームなど、とうの昔に終わっていたが、彼女は一年中、膝下20センチはあろうかというスカートを穿いていた。少し変わり者だという認識は、みな共通してあったと思うが、飄々とした立ち振る舞いや口調、さっぱりした性格も相まって、彼女を嫌っている人はいなかった。むしろその憎めない印象から、広く好かれていたように思える。私ももれなく、その子のファンの一人だった。

その言葉で、暗闇が反転した

私たちは簿記部という部活に所属していた。
文化系の部活だが、それでも遅くまで残ると、冬場はとっぷりと日が暮れる。
ある日、帰りが同じになった私と美里ちゃんは、駐輪場まで自転車を取りに行った。
学校内はコンクリートの段差が多いので、暗いと歩くのにも神経を使うが、その日のように友達がいてくれると楽だった。
まだ練習をしている野球部を横目に見ながら、美里ちゃんの長いスカートの裾をちょこんとつまんで、駐輪場まで付いていく。

「えっちゃんって、暗いとこ見えないんだ?」

美里ちゃんは、一度聞いただけで彼女と分かるような独特の高い声で私に言う。

「見えないよ。生まれつきだから慣れたけど」

そう返して、空を見上げる。
空はいつも通り、ぽっかりと、その闇を広げるだけだ。
自分を「かわいそう」などと……。
でも、そんなこと、まるで思ったことがない、と言ったら嘘になる。
平均が求められる学生時代。この持病は私を普通から少しだけ遠ざけてしまったけれど、他の子と自分との差別化を図るアイデンティティーの一つでもあったのだ。
多感だったこの頃の気持ちを、正確に表現することはもはや不可能だ。だが、「自分をある種特別な存在に思わせる」道具に……、そんなやましい心も、多少あったと思う。

次に私が口にしたのは、こんな言葉だった。

「私、星空を見たことがないんだよね」

ことさら、何でもないように言う。だけど本当は、大事に受け取ってほしい言葉だった。
美里ちゃんは、そうなの? と驚きの色を口に出して、そして屈託なく笑った。

「それじゃ、月がすごくきれいに見えるね」

私の暗闇の空に、忘れ去られていた月が煌々とその姿を現した。
美里ちゃんの、一つの視点にとらわれないものの見方を聞いて、私は自分を恥じた。暗い部分しか見てこなかった自分を。そこに甘んじてきた精神を。
ずっと月は見守ってくれていた。星の光に邪魔されず、燦然と輝く唯一の存在は、ずっと私のそばにいたのだ。
今でもその瞬間をよく覚えている。暗闇が反転するように、私の空は輝きだした。間違いなく、私の価値観を変えてくれた一言だったのだ。

今も、彼女の服をそっとつまんで

美里ちゃんと別れ、彼女は自宅へ、私は学校近くのスーパーまで自転車を押していき、駐車場で待つ母の車へ、自転車を積み込む。
車中で、今日の学校でのことを聞かれる。
普段はおしゃべりな私だが、その日は、「星が見えないって言ったら、月がきれいに見えるねって言われた。美里ちゃんに」と言うにとどまった。それ以上の説明をしようものなら、大声で泣いてしまう気がしたのだ。
怒ったような口調でしか、自分を律することができなかった。
母は「優しい友達だね」と言った。車の窓ガラスに額を押し当てて、涙でゆがむ帰り道をいつまでも見ていた。
この景色の何割かは、月光に照らされて私の目に届いているのかもしれない。そう思うと、たまらないものがあった。

さて、そんな美里ちゃんとは、お互い社会人になった今でも、一カ月に一度は必ず会うほど仲良しである。
以前、美里ちゃんにこの時の話をしたら、「えー、私そんなこと言ったぁ?」と素っ頓狂な声を上げていたが、それでいいのだ。そんな彼女だからこそ、口にできた言葉なのだと思うから。

今も私は美里ちゃんの服の裾をつまんで歩く。二人、明るく輝く月に照らされながら。

(宮崎県都城市・女性・無職・28歳)