「子供たちに人として大きく成長してほしい」という願いのもと、月刊「PHP」の贈呈活動に取り組まれている株式会社八天堂の森光孝雅氏に、同社の歩みや地元である広島県三原市への思いについて語っていただいた。
倒産寸前の危機を脱し、V字回復を果たす
「くりーむパン」のメガヒットによって大躍進した株式会社八天堂は、広島県三原市を代表する企業として確固たる地位を築いている。同社の代表取締役の森光孝雅氏は、三原市商工会議所の会頭も務めており、名実ともに三原市の経済を牽引する存在である。ところが同社が「くりーむパン」で成功を収める前、一時倒産寸前の危機に陥ったことがあると聞いても、多くの方は、現在の発展ぶりからはとても想像がつかないであろう。
八天堂は、もともと森光氏の祖父が1933年に三原市で創業した和菓子店であった。二代目の森光氏の父親の代で和洋菓子店となり、さらに神戸の一流パン店で修業を積んだ同氏が別店舗でパン店を始めたことから、その後パン店に専念するようになったのだ。
「私が始めたパン店は、当時三原では焼きたてのパンを売る店がほとんどなかったこともあり、オープンしてすぐに繁盛店となりました。数年後には三原市を中心に10店舗以上の支店を出すまでになったのですが、経営のイロハも知らない『いちパン職人』だった私は、赤字の店舗が複数出るようになっても、それまでの無理なやり方を変えようとしなかったのです」
ライバル店が増えたことなどさまざまな要因が重なって経営状態は悪化し、相次いで店舗閉鎖を余儀なくされ、ついに債務超過状態となって銀行から融資を打ち切られる話まで出たことがある。しかしその後、銀行の経営指導や森光氏とスタッフたちの努力により、新たな販路を開拓して見事にV字回復を果たすことができた。このあと八天堂は、新たな「看板商品」づくりに乗り出すことになる。
「くりーむパン」を開発してさらなる躍進を遂げる
《八天堂の「くりーむパン」(イメージ)》
八天堂の代表商品である「くりーむパン」は、森光氏の発想をもとにして、何度も何度も試作を繰り返した末に開発された。
「『既存のものの新しい組み合わせがイノベーションである』という考え方を知り、いろいろと考えた結果、『クリームパン』という菓子パンのスタンダードと、『くちどけのよさ』という食感のスタンダードを組み合わせることを思いつきました。製品化まではたいへんな苦労がともないましたが、私どもが生み出した『くりーむパン』は、それまでにない新しいスタンダードになったのではないかと自負しております」
地元の広島で大ヒット商品となったあと、消費期限の短い「くりーむパン」を東京に空輸して販売する態勢を構築。たちまち東京でもたいへんなヒットを記録し、わずか数か月のうちに「超一等地」である品川駅で販売スペースを確保するという快挙を成し遂げ、全国放送のテレビ番組でも紹介されるまでになった。このあと同社は順調に右肩上がりの成長を遂げることとなる。
やがて三原市街の旧工場が手狭になり、三原市郊外にある「広島空港」の目の前に新工場を建て、さらに「企業内認可保育園」を開園した「体験型カフェ」をオープン。こちらも人気店となり、工場見学者もコロナ禍前は年間1万人を超えるまでになった。空港前の広大な敷地を「八天堂ビレッジ」と命名し、その後「空の駅 オーチャード」「天空カフェ&ファクトリー」などさまざまな施設を開設して、今や地域経済の起爆剤となっている。
人づくりと地域への思いから贈呈活動を開始
《八天堂ビレッジ(広島県三原市)》
八天堂は、社員教育に非常に力を入れている会社である。例えば同社が掲げる『八天道の精神』は、「礼の精神」「自立開拓の精神」「義務先行の精神」「利他の精神」「感謝報恩の精神」「学び考え実行の精神」「必然向上の精神」「不撓不屈の精神」という8項目からなり、日頃から社員への浸透が図られている。また、毎月勉強会を開いて本の読み合わせを行うなど、社員の「人間力向上」に注力してきたことも、同社の発展の大きな要因となっているに違いない。
こうした人づくりへの姿勢や、八天堂を長年支えてきた地域への恩返し、さらに三原市の活性化に取り組みたいという思いから、森光氏率いる同社は月刊「PHP」の地域への贈呈活動に参加してくださっている。
森光氏自身、大学生の頃から本誌を愛読し、感銘を受けられたとのことで、その普及につながる贈呈活動の趣旨に賛同していただいたのだ。具体的な贈呈先は、三原市の小学校・中学校・高等学校の校長先生を対象としている。
「いまはまだ、地域で大きなうねりを起こすところまでは行っていませんが、これまで複数の校長先生から直接感謝の言葉をいただいたこともあり、少しずつ波及効果が出てきたところではないかと思います。校長先生から先生方へ、そして未来を担う子供たちにこの雑誌が広まっていくことを願っています」
子供たちの自己肯定感を高め、地域と日本の発展につなげたい
森光氏が月刊「PHP」の贈呈活動を始められた理由のひとつに、地域の子供たちに「よりよく生きるための羅針盤をもってほしい」という強い思いがある。
「社員の採用活動において、高校生や大学生と接する機会があるのですが、最近の若い人たちの傾向としてよく指摘されるように、多くの若者に『自己肯定感』の低さを感じます。ともすればどこか不安げで、自信がないように見えることがあるのです。月刊「PHP」には、著名な作家さんや文化人、芸能人、スポーツ選手などが多く登場し、ご自身が苦労された体験を知ることができますし、またよい言葉や考え方が散りばめられていますので、子供たちが読むようになってくれれば、みんなの成長に役立つと思います」
また森光氏は、「自分自身の成長を実感することが、自己肯定感の醸成につながる」という考えを示された。いい換えれば、人は誰でも失敗や成功を経験し、時には挫折を味わうものであり、そこから何かを学び取って成長していくことが不可欠だということである。そして挫折したとき、月刊「PHP」のような本を読んで自問自答することが、挫折を乗り越えていくカギになる。松下幸之助は「人間はダイヤモンドの原石。無限の可能性をもってる」と考えたが、自己肯定感の育むことによって、人はよりよい人生を歩んでいけるのではないだろうか。
「当社が贈呈した月刊『PHP』が、直接間接含めて三原市の子供たちに伝わり、よい言葉にふれ、さまざまな考え方を知って成長し、いつの日かその子供たちが八天堂で働いてくれるような循環につながれば最高ですね。三原市という地域が元気になれば、他の地域に勇気を与えることにもなります。そうして日本中の地域が元気になれば、日本全体の発展につながるのではないかと考えています」
森光氏の眼は、地域の子供たちの未来、そして日本の未来を見つめている。