あらすじ
舞台は江戸深川。主人公は上総国搗根藩で小納戸役を仰せつかる古橋家の次男坊・笙之介。大好きだった父が賄賂を受け取ったと疑いをかけられて自刃。兄が蟄居の身となったため、江戸へやってきた笙之介は、父の無念を晴らしたい、という思いを胸に、深川の長屋に住み、事件の真相究明にあたる。父の自刃には、搗根藩の御家騒動がからんでいた。野心を抱く者たちに押しつぶされそうになる笙之介は、思いを遂げることができるのか。人生の切なさ、ほろ苦さ、人々の温かさが心に沁みる物語。
・「桜ほうさら」とは?
「ささらほうさらだねえ」とは、南信州や甲州で「酷いめにあいましたねえ」ということ。「桜ほうさら」とは、この「ささらほうさら」に物語に象徴的に使われている桜をからめた言葉です。物語の中でどう使われているか、ぜひ読んで味わってみてください。
著者着歴
1960年(昭和35年)、東京生まれ。
87年、「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。
92年、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞、『龍は眠る』で日本推理作家協会賞、93年、『火車』で山本周五郎賞、97年、『蒲生邸事件』で日本SF大賞、99年、『理由』で直木賞、2007年、『名もなき毒』で吉川英治文学賞を受賞。 著書は、時代ものに『<完本>初ものがたり』『あかんべえ』『孤宿の人』『荒神』、「ぼんくら」「三島屋変調百物語」の両シリーズ、現代ものに『模倣犯』『小暮写眞館』『ソロモンの偽証』などがある。
江戸深川の富勘長屋に住み、
写本で生計を立てている浪人もの。
仕立屋・和田屋の娘。
笙之介とは不思議な縁で
関わりを深めていく。
本名・坂崎重秀。
搗根藩江戸留守居役。
笙之介の後ろ盾。
貸本屋。笙之介に仕事をくれる人物。
炭団眉毛が特徴。
勝之介:笙之介の兄。剣の腕が立つ野心家だが、父の自刃をうけて蟄居。
古橋宗左右衛門:笙之介の父。御家騒動に巻き込まれ、あらぬ疑いをかけられて自刃。
佐伯嘉門之助:藩校・月祥館の老師。笙之介を書生として預かる。
梨枝:船宿・川扇の女将。東谷の想いびと。江戸における母のような存在。
武部権左衛門:手習所の師匠。
六助:筆墨硯問屋の手代。笙之介の長屋によく顔を出す。
<富勘長屋の住人>
太一:子供たちの大将格。笙之介のことを何くれとなく気遣う。
おきん:太一の姉。笙之介に惚れている。
お秀:古着の繕い、洗い張りの仕事で一人娘のおかよを育てている。
「二人の女に挟まれた男というものは、この世でいちばん弱くなるのだ。ともかくも事なかれと流され易くなっての。角を立てず、あちらにもこちらにも甘いことを言ってやろうとするうちに、にっちもさっちもいかなくなる」
(第一話「富勘長屋」)
「文は人なり、といいます。私はその〈文〉は、文章のことばかりをさしているのではないと思うのです。その人が綴る文字にも、人柄や心模様が表れる。文字も人なり、です」
(第三話「拐かし」)
ーー嘘というものはな、笙之介、こういう形をしておる。
釣り針に似ている、と言った。
釣り針の先には、魚の口に引っかかったら容易に外れぬように、返しがついている。嘘というものにも、返しがついている。
だから人を引っかけるには容易だが、一度引っかかったらなかなか抜けない。自分の心に引っかけるのも容易だが、やはり一度引っかかったらなかなか抜けない。
それでも抜こうと思うならば、ただ刺さっているときよりもさらに深く人を傷つけ、己の心も抉ってしまう。
些細な、つまらぬことで嘘をついてはいけない。嘘は、一生つきとおそうと覚悟を決めたときだけにしておきなさい。(一部略)
(第三話「拐かし」)
わからないことに直面したときには、焦ってはいけない。わからぬものを強いてわかろうと、いきなり魚をおろすようにしてしまえば、わからなかったものの本体がどこかへ逃げ去ってしまう。故に、わからぬものに遭遇したら、魚をいけすで飼うようにそれを泳がせ、よくよく見つめることが正しい理解へ至る大切な道筋だ、と。
(第四話「桜ほうさら」)